私は異文化体験にとにかく触れてみたいと思っていたので、特に国にはこだわっていませんでした。その中で、日本では、朝9時から16時まで学校に通い、その後塾に通う学生も多く、またよく働くと言われる日本人は忙しいなぁと感じていました。そこで漠然とのんびりしているイメージのあった中南米に憧れていました。その中でも、「授業は8時から12時」とAFSの国別紹介にあったボリビアに行きたいと思いました。
スペイン語はある程度の規則はありますが、日本語のローマ字でだいたい発音することができ、日本人にはとても馴染みやすい言語だと思います。私は出発前ほとんどスペイン語を勉強して行かず、いくつかの単語、構文を知っている程度でした。
私のホストシスターは英語が話せたので、始めは英語でコミュニケーションを取っていました。しかしママは全く英語を話せなかったので、いつも辞書を片手に話していました。まずは自分が話せないことを相手にわかってもらうことで、ゆっくり話してもらったり、この単語を引いてみろと教えてもらったりしていまし
た。
ある程度スペイン語がわかるようになると、今度は自分から積極的にスペイン語を使いました。そうでないと相手は私と話すときは英語という意識が働くようで、スペイン語を使ってほしいのに英語という期間がありました。
カルチャーショックとまでは言わないとしても、日本の反対側にあるボリビアに派遣された私にとっては、日々が驚きの連続でした。
初めてホストファミリーと対面したときに、車で家までの移動途中、ホストブラザーが窓から食べていたお菓子のゴミを捨てたこと、それに怒らないパパ。不思議に思っていた私でしたが、その直後、パパも同じことをしたのです。
後になってなぜボリビアではポイ捨てをするのかと聞くと、「今ゴミ拾いを仕事にしている人たちが失業するじゃないか。世の中はそういう風に成り立っているのだ」とパパが教えてくれました。確かに、そういう考えもあるのかと思いました。
最後まで私はポイ捨てをすることはできませんでしたが、発展途上国ならではの考えに触れることで、さまざまな視点で考えられるようになりました。
ボリビアの生活は本当にのんびりしていました。授業が12時に終わり、家族で昼食を食べ、その後は昼寝、宿題、またスペイン語の授業という生活でした。
のんびりした生活に憧れていたので、始めは満足していました。しかし20時にはすることがなくなり、21時には寝ていたので、それがだんだん暇に感じるようになりました。3ヶ月が経った頃、この午後を利用して何かをしたいと思いました。中南米の楽器に興味があったので、チャランゴという弦楽器を習いに、音楽教室に通うことにしました。そこで学校とは違う友達ができ、スペイン語も積極的に話すように心がけていました。
帰国前の2ヶ月は冬休みに入りました。その2ヶ月を利用して親のいない子どもたちがいる施設に行き、何か自分にできることはないかと尋ねました。そして2ヶ月間ボランティアとして働いていました。
私がボリビアで学んだこと、それは行動を起こすも起こさないも自分次第ということです。そしてしようと思えばチャンスはいくらでも転がっているということです。受け身になりがちだった私でしたが、留学して自分から積極的に行動を起こすようになりました。
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