
最初は留学する事は決まった時に、一番仲良しな兄のアドバイスを初めて取りませんでした。彼は留学することに反対しましたが、私はこの道を信じて選びました。
日本に着いて、後悔するないようにずっと頑張っていました。しかし、言葉まだうまくできないから、なかなか友達を作れませんでした。この県に他にマレーシア人もいないし、悲しくても、寂しくても、進まなければなりません。漸々問題を一つ一つ乗り越えて、五日月間経っていました。 五ヵ月間経って、私は強くなりました。「絶対ホームシックならない!」と思ったが、最初の一カ月間けっこう泣いてしまった。泣きすぎたので、LPさん(担当ボランティア)は私を「泣き虫」と呼んでいます。しかし、今はこのあだなはなんとか懐かしくなりました。
五ヵ月間を経って、私は標準語も話せなくなりました。完全に広島弁に同化されました。「わからん」や「わや」や「言うてる」や「待っとる」など、よく笑われました。またホストブラザーの影響に及ばれて、よく「俺」を使ってしまいました。間違った所いっぱいあって、なんとなく毎日の笑点になりました。
五ヵ月間を経って、あれ!?マレー語もうどこ行っちゃった?
例の会話:Apa Kabar?(元気?) Baik(元気),tetabi(しかし) さあ、saya(私)もう tak boleh cakap(話せません)マレー語
わや~!!
さらに、フランス語の授業で自己紹介する時、「Bonjour、Je m’apelle meimeiです」
ショック~
五か月間を経って、楽しい時もあるし、悲しい時もあるし、誤解もあるし、親友見つかることもあります。違う文化を習う時に、自分の文化を守る時に、留学の間に漸々バランスを取って、互いにちゃんと理解するべきです。ただ違うだから。ちゃんと分かったら、我慢できたら、皆仲良くできます。
