自分の中で何かが変わった Y.I.(2004年帰国)
パナマに旅立とうとしていた1年前の自分を思い出す。発展途上国、物が乏しい、運河…僕のパナマのイメージといえばそんなものだった。ところが、いざ着いてみてビックリ。なんという建物の多さ。片側3斜線の道路まである。しかも、首都パナマ市には、ニューヨーク並みの高層ビルが立ち並ぶ新市街と、歴史を感じさせる旧市街とが、湾をはさんで同居しているのだ。これはまさに「美」だった。
最初にぶつかったのは言葉の壁。人と交わらずに部屋に閉じこもって文法書ばかり見ていた僕に、「お前は読み書きだけできれば、話せなくていいのか?」と会話の重要性に気づかせてくれたのは、当時のホストファーザーだった。
学校も問題だった。初日から担任に「なんでここにいるんだ?」と聞かれた。パナマは多人種で、しかも混血の進んだ国なので、僕が海外からの留学生であることは容易には気づかれなかった。留学生として特別待遇されるかナ?という甘い期待は裏切られた。
さて、その後間もなく、僕は最初の家庭の事情でファミリーチェンジをすることになった。次の家庭は街の中心部で薬局を営んでいた。環境が変わったことで、僕は以前よりもずっと前向きに考えられるようになり、何にでも挑戦したいと思うようになっていた。地域の野球リーグや、伝統舞踊のサークルに入った。学校では吹奏楽部で太鼓のたたき方を覚え、家では薬局の手伝いをした。世界中をまわらなければ会いつくせないほどの友達ができ、僕はとても充実した生活を送っていると思っていた。
ところが、そうしたある日、僕はささいなことからホストマザーと大げんかになった。互いの考えをぶつけ合うこと2時間、ついには2人とも泣くまでに至り、そこで僕はようやく大切なことに気づいた。今まで僕は、全て分かったつもりで生活していたが、実際には家族の声が全く聞こえていなかったのだ。この上なく有意義な2時間だった。なぜならそこからパナマの真相が次第に分かり始めたからだ。自分の中で何かが変わった。
その後の留学生活は本当の意味で充実していた。体験の最後のころ、AFSパナマが「新聞紙による衣装コンテスト」と「手作りの帽子コンテスト」を行ったが、僕は侍をモデルにした衣装と兜を作って2位に入賞した。忘れられない思い出となった。
帰国の日がやってきた。僕は「パナマでのことは貴重な思い出としてここに置いておこう」と心に決め、涙はこらえていた。しかし、さすがに飛行機から第二の祖国が離れていくのが見えた時には、ジンときてしまった。
日本に帰国した今、僕はまるで異国にいるようだ。目に入る物は新しく、人とどう接してよいのか分からない。しかし、きっと時間が解決してくれるだろう。
僕はこの留学で、自分が大きく変われたと思っている。パナマでの生活は最初は壁ばかりだった。しかし、僕はそれを乗り越え、本当の家族や友人と思える関係を築くことができた。苦労した結果ついに成し遂げたという充実感でいっぱいだ。
僕を支えてくれた周囲の人々に心から感謝したい。パナマと日本の家族や友人、わが母校K高校の先生方、先輩方、そしてAFS、本当にありがとうございました!
パナマで得た目標 M.O.(2000年帰国)
パナマでの1年は帰国して1年がたったいま、ようやく都市設計という将来の目標に結びつきつつある。
都市設計と述べたが、それはパナマでの生活環境の向上の精神から派生した。つまり毎日を良く生きようとする精神である。「何だ、そんなことか」日本で生活する人ならそう思うかもしれない。しかしパナマで良質の生活を求めることは難題であった。
一番の問題は水の確保であった。その地区に日曜と水曜、2日のうちのほんの数時間しか配水をしない浄水場の怠慢に、水不足の原因があった。私の家はタンクを所有していたから、いささかましである。タンク内の水が尽きれば飲料水はない。それゆえに家庭内では、水を使うためのストラテジーが存在していた。トイレの水を流すときと、体を洗うときはバケツ1杯分をもっていき、アイスのカップで汲み出して使う。もちろん、雨水を用いる。家族5人が風呂に2杯以上消費してしまうと翌日の選択に支障がでる。洗濯の排水は床掃除に使われる。このような生活によって私は水に関して非常に孤独な、生存競争に似たものを覚えた。
孤独感を覚えた原因は、家族が私の服を洗濯機で一緒に洗うことを嫌ったからだ。雨水での手洗いはセッケンの落ちがよくないから、手あれもひどい。とこのようにいくら訴えても、私ひとりの洗濯機の使用は認められなかった。現在でもなぜ一緒に洗ってくれなかったのかは理解できないでいる。
家族よりも、むしろ必要性があるのにも関わらず実行されない環境の改善に、不満の矛先をむけることにした。この場合は配水管設備の見直しであり、浄水場の増設である。アジアの小さな国からの留学生をなめんなよ。ぜったいに、私が、水不足の問題を解決してやる。わが家族生活に幸福が訪れるように。
帰国してから水に困ることはないが、その他の諸問題に目を向けるようになった。放置されるごみ、大量の廃棄ガス。水は留学生を困らせただけだったが、将来、これらの問題に何人が生存競争を覚えるのだろう。
「かもめ2001」より
20年振りのホームステイ体験を終えて プログラム実施派遣担当 E.M
1996年9月、パナマとの交換プログラムを始めるにあたり事前調査と打ち合わせを兼ねて出張し、支部のある地方都市のひとつサンチアゴでホームステイを体験しました。
私は現在、AFS日本協会の職員をしていますが、建国200年に沸くアメリカ合衆国オハイオ州の田舎で一年間(1975年~76年)を過ごした帰国生でもあります。はからずも帰国後20年を経て、はじめて訪れる中米パナマで英語とスペイン語の辞書を頼りに再びAFS生としての追体験をすることになったのでした。
パナマは、全土にわたって人が住んでいるわけではありません。特に、国内を東西に結ぶパンアメリカンハイウェイのパナマシティ以東(コロンビアとの国境に近い側)は、ほとんどがジャングル地帯で人口密度も低いのでAFSパナマもこの地域には留学生を配属していません。
現在AFSパナマの支部がある都市は、パナマシティ以西の地域に限られています。サンチアゴへは、首都パナマシティから、パンアメリカンハイウェイ沿いに西へ、途中いくつかの支部のある都市を経由しながら車で送ってもらいました。パナマには日本のように公共交通機関としての鉄道がありませんので、国内での移動は車か飛行機の2種類ですが、国内線の飛行機は便数も座席数も限られていて料金も高いので、ハイウェイ沿いに設定された遠距離バス路線網を利用して陸路移動する人が大半です。サンチアゴからパナマシティへの帰路、私もこの路線網を使い、250キロの行程を途中トイレ休憩を1回とり4時間弱で走破するという経験(料金6ドル!)をしました。
AFS生も、パナマシティから受入先へバスで移動しますが、これはパナマの都市の成り立ちを知り歴史的背景に思いを馳せる貴重な体験の第一歩になることでしょう。
サンチアゴでは、ホストファミリーをして以来12年間AFS活動をしているというピニラス家に滞在しました。ピラニス氏は銀行家、奥様はサンチアゴ支部の支部長です。
留学生のための家庭探し、学校との交渉、滞在中の支部行事の企画・運営から留学生やホストファミリーへの様々な支援まで、ご夫妻で協力し合い楽しみながら地域のAFS活動を支えています。ご夫妻のおおらかで温かい人柄に拠ってか、地域内で支部活動に協力する人の輪も拡がり、サンチアゴはAFSパナマも信頼を寄せる支部のひとつです。
サンチアゴ支部に限らず、パナマ国内の支部は元ホストファミリーや子供をAFSプログラムで留学させた保護者を核に構成されています。ピラニス家の2人の帰国生を含む4人の子供たちはそれぞれ社会人と大学生になってパナマシティに住んでいますが、週末や長期休暇には頻繁に帰郷し支部行事の運営を手伝ったり、パナマシティでもAFSパナマが実施するオリエンテーションにボランティアスタッフとして参加したりしているとのことでした。
パナマシティのような大都市では時代の変化に伴い少しずつ変容しつつあるそうですが、一般にパナマでは親子の関係は保守的で、子供は結婚して自分たちの家庭を持つまでは年齢や就業状況にかかわらず親の庇護下におかれます。
仕事で遅くなるという子供の帰宅時間を親が確認したり、夜間の大学に通う子供を親が迎えに行ったりということは当然のことであり、それぞれの生活を尊重しながらもお互い密に連絡を取り合い最終的には親が決定権を持つという親子関係がパナマの地方都市では厳然として残っています。
ピラニス家でも子供部屋はいつ子供たちが帰ってきてもよい状態に保たれていました。私はその中の姉妹の部屋を使わせてもらいましたが、その部屋にはぬいぐるみや外国土産の小物が所狭しと並んでいたり、高校の卒業記念写真や地元のお祭りでのコンテストの時の写真を拡大して飾ってあったりと、ピラニスご夫妻の子供たちを愛し誇りに思う雰囲気があふれていました。
パナマのホストファミリーは、留学生に対して最初から事細かに説明しない傾向があり「お客様」として扱いがちです。地方へ行くほどその傾向が残っていますので、留学生自身にも積極的に兄弟の様子を見て学ぶとか、自分から尋ねるという姿勢が求められます。
また、パナマのほとんどのホストファミリーにはメイドがいるので、留学生は自分の身の回りの片づけ以外特別に家事を担うことはほぼありません。「お客様扱い」されがちで、加えて何かお手伝いをしながらコミュニケーションを図るということもあまり期待できそうにない中では、留学生にはより積極的に自分からいろいろなことを尋ねて取り組んで行く姿勢が求められることでしょう。
サンチアゴでは普通科の高校と小学校の教員養成課程がある国立の高校を見学しました。パナマシティや地方でも規模の大きな都市には私立の学校もあり、AFS生も受入地域やホストファミリーの状況によって様々な学校に配属される可能性があります。
パナマの学校は、二部制で授業が行われ、先生も午前と午後と別の学校で教えたりあるいは全く異なる仕事に就いていたりします。学校では、10月の独立記念日の式典のためのバンド指導以外、課外活動の指導はありませんので、生徒たちはスポーツや音楽などの趣味は学校ではなく独自に楽しみますが、一般には授業のない時間は自宅や近所の友人の家で勉強をして過ごすそうです。
パナマの学校には、制服(男子ーシャツとスラックス、女子-シャツとスカートまたはワンピース)があり、AFS生のためにはほとんどの地方支部で新しいものを調達してくれます。パナマの学校、特に地方都市の学校で制服があるのは、生徒たちがそれ以外の私服を持っていないからだということを聞きました。
サンチアゴにある国立の高校には全国各地からやって来る生徒のために校内に寮が併設されていますが、ここの寮生の中には経済的に豊かでない家庭の子供も多く、私服をもっていないために週末の授業がない日でも制服を着て過ごしているそうです。それでも、学校に通えるだけ恵まれているという説明に、パナマの厳しい現実をかいま見た思いがしました。
パナマの現実といえば、パナマでは郵便物の戸別の配達制度がありません。郵便物は郵便局の私書箱へ入れられるか局止めになっていて、最寄りの郵便局へ取りに行くのが普通なのだそうです。一般家庭に限らずオフィスあての郵便も同じで、これはパナマだけではなく中南米の国の大半にも共通することのようです。
中南米の住所表示が、私書箱番号の短いものと「△通りと☆通りの交差点から西へ300メートル行ったところ」というような長いものとの2種類あることの意味、-長い住所表示はその場所を訪ねるときの目安となるように説明してあるもの、がパナマに行ってみて理解できました。
日本の郵便制度が世界に共通する常識ではないことに驚くと同時に「そういう方法もあるんだ!」という発見に不思議な感動を覚えました。
パナマは私にとってはじめて訪れる国でしたが、とても懐かしいところに帰って来たような印象を与えてくれました。それは、ホームステイを通して出会った人々の温かさや、幼い頃に見かけた情景によく似た素朴な生活振りに触れたせいかもしれません。
確かにパナマには日本ほど豊かに物がそろっている訳ではありませんし、高校で見かけたような厳しい現実もありますが、その中で優しく、たくましく暮らしている人々との触れ合いを通して、人間として心豊かに暮らすために必要なことは何かということを考える上では素晴らしい機会を提供してくれるところであると思います。
これから一年間のAFS体験へ臨もうとしている高校生の皆さんにとっては、自分自身について問いかけられると同時に、ご両親の育った時代を追体験できる機会になるかもしれません。詳しくはあなた自身の目で見て、心で受け止めて来てください。

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