Cと過ごした1年間 M.B.(ホストシスター/2001年)
何も話せなかったCとの生活はそれなりに大変だったと思う。まず、彼女は自己主張を全くしなかった。例えば、一緒にご飯を食べにいったとする。彼女は何が食べたいのか、何を飲みたいのか。私にはわからない。彼女に片言の英語で聞いてみると「Mと一緒でいい」と返ってくる。彼女は辛いものが食べられなかった。でも私は辛いのが食べたい。彼女の優柔不断さに何度も嫌気がさした。
私の友人は遊びに行く時にCを連れていくことを快く受け入れてくれた。しかし、私自身が彼女と友達と一緒に遊びに行くことをあまりよくは感じていなかった。はっきりしないCと友達の両方の機嫌をとるのがいやだった。そして学校が早く始まってほしいと心から願っていた。そうやって2週間が過ぎた。
学校が始まったCはいつも定刻に帰ってくる。私は久しぶりに大学の友達と会うので毎日帰りが遅く、休日はバイトに忙しかった。部屋に入るとCから「お帰り」と声がかかる。そして絶対に「何してたの?明日も遅いの?」と返ってくる。やっと一人になれるはずの部屋でこう束縛されては私はいつ一人になれるのだろうと感じていた。
夏になり、また長い休みに入った。暑い。私達の部屋にはエアコンがついている。もちろん今まではあまり使用していなかったが、アラスカから来たCには耐えられなかったのだろう。毎日夏ばてしていた。だから、私なりに気を使って冷房を入れていた。私は真夏にトレーナーを着て寝ていた。今考えてみれば笑える話だがあのときは自分の身は自分で守らなければと思っていた。しかし、ある日Cを連れて友達の家に遊びにいったときのこと、いつもの事だがCとの生活はどうかと聞かれたので、Cはとっても暑がりだと話していた。そして私がトレーナーを着て寝ていることも笑い話として話した。するとCが「私も本当は寒くてMが寝た後にスイッチを切っているんだよ」という。私たちは遠慮しあっていた。そこから距離が広がっていたのであろう。それから、Cと毎日色々なことを話すようにした。そしてコミュニケーションを少しずつ取れるようになってきた私たちは、毎日遅くまで彼氏の話や学校の話をしていた。Cは私の生活がまるでドラマみたいだと喜んでくれた。私もCのアラスカの学校の話がとても新鮮で面白かった。
Cが日本語を話せるようになると色々なことに「何で?どうして?」と質面攻めにあう。私にも分からないことが多かった。傑作だったのが、CはB家の可愛い飼い犬を捕まえて「馬鹿犬!!」という。Cは間違った日本語もいくつか覚えてしまっていた。それも仕方がない。私の家族は大阪弁である。そして、きれいな日本語を使っていないのだろう。Cは次第に家族になじみ、一員となっていた。それからCは母に何かを頼まれるとしばしば「めんどくさい」という。
Cのめんどくさがりは私達の部屋を見れば一目瞭然だ。私も片付けは得意ではないが、Cは私以上かもしれない。だから、一緒の部屋でもトラブルが起きなかったのだろう。でも、Cが帰る直前はさすがに私もあせった。当の本人はマイペースだった。私は一生懸命Cの荷物を片付けた。しかし、本人はまるで他人事だった。きっと初めて私たちは喧嘩をしただろう。
私たちは色々と我慢しすぎていた。Cが帰る直前で私たちが姉妹であると感じ、Cが帰ることが本当に信じられなかった。今考えてみればもっと一緒に遊んでいればよかったと後悔すら感じていたが、大切な1年となったと思う。今、Cは何をしているのだろうか。Cが帰ってもう3ヶ月にもなろうとしているが、連絡は無い。きっと学校が忙しいのだろう。私もCのいない生活に慣れはじめてきた。しかし「ただいま」と部屋に入ると「おかえり」と何処となく返事が返ってくるような気がするときもある。
Cと過ごした1年間は色々な意味でいい経験になったと思う。
「かもめ2001」より
