去る11月7日(土)、AFS友の会・ネットワーキングの集いで、AFS8期(’61-’62 米国)の寺地五一氏が、「ジョン・F・ケネディの平和主義をいま考える」という題で講演されました。

当日、AFS日本協会の本部がある、虎ノ門のビルの会議室はリターニー(帰国生)やホストファミリー、AFS関係者などで満員でした。
寺地氏がこの講演をされることになったのは、同氏が昨年、正子夫人(AFS10期 ’63-’64 米国)と共同で、『JFK and the Unspeakable』(by James W.Douglass、2008年刊)という本を翻訳されたことがきっかけです。邦題は「ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか・・語り得ないものとの闘い」(同時代社、2014年刊)です。700頁以上の大著です。(以下、「本書」と言います)

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AFS友の会会長 野村彰男氏と

ジョン・F・ケネディ、第35代アメリカ合衆国大統領は、7期生、8期生、9期生にとっては、特別な存在でした。というのは、1961年~1963年の各年、世界中からのAFS年間生たちが1年間のアメリカ生活を終え、全米各地からバス旅行をしながらワシントンD.C. に集結した際、ホワイト・ハウスに招かれ、芝生の美しい庭でケネディ大統領のスピーチを聴いたのです。
私も8期生の一人として、1962年7月に、大統領の話を聴きました。その中で大統領が「君たちは1年間、アメリカを経験してきた。帰国したら、アメリカの良いところも、悪いところもすべて、お国の皆さんに話してください」と言われたのが印象的でした。
この「アメリカの悪いところ」が、本書の英題にある「The Unspeakable」、邦題での「語り得ないもの」、つまり不可侵の闇の力、とでもいうものとつながります。寺地氏が話された、ケネディ大統領の平和主義と行動について、本書を横に置きながら、そのごく一部を以下にご報告させて頂きたいと思います。


1961年、ソ連との熾烈な冷戦の最中に大統領に就任したケネディは、平和を希求する決意と行動により人類を核戦争の悲劇から救った。
有名な1962年のキューバ危機。アメリカに攻め込まれると確信した革命キューバはソ連に軍事援助を求め、ソ連製の核ミサイルをアメリカに向けて配備。さらなるミサイルを載せた船がキューバに向かっていた。これを知ったアメリカは、核攻撃の態勢を整え、あわや米ソ全面核戦争に突入という危機を迎えた。ケネディは、先制攻撃を主張するCIAや軍の圧力と闘いながら、平和的な解決を求めて、弟の司法長官ロバート・ケネディを仲介者にして、ソ連がキューバからミサイルを撤去するならば、アメリカはキューバに侵攻しない、アメリカがトルコに配備したミサイルをある時点で撤去するとの和解案を示し、さらにケネディは、自分が政府内の好戦的な圧力と闘っているという実情を、フルシチョフに打ち明ける。フルシチョフは、アメリカがトルコに配備したミサイルを撤去するという密約を条件に、キューバからミサイルを撤去することに同意する。こうして危機一髪のところで核戦争は回避された。これが1962年10月16日~28日の、キューバ危機である。
実はフルシチョフも、戦争は望まぬものの、ソ連政府内の好戦的な勢力に圧力をかけられ、ケネディと同様の状況に置かれていた。1961年9月以来、密書の交換、側近を通した意思の伝達で信頼関係を醸成していたケネディとフルシチョフは、互いに約束を守った結果、核戦争が回避されたわけである。
キューバのカストロ首相は、自分の頭越しにケネディとフルシチョフが合意してしまったことに激怒したが、フルシチョフはカストロをソ連に招き、和解に努め、一方でケネディが信頼できる人間であることを伝えた。後日、互いに心を開いたケネディとカストロは、内密に和平への道を模索するが、ケネディが暗殺されたことにより、二人の秘密会談は実現しなかった。ケネディの死後、カストロはまだアメリカとの対話の可能性を探っていたが、新大統領に就任したリンドン・B・ジョンソンは、ホワイト・ハウスとフィデロ・カストロとの対話を無期限に停止した。

キューバ危機から半世紀余りを経た今年、オバマ大統領のもと、ようやくアメリカとキューバが国交を回復するに至ったことは感慨深いものがあります。

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寺地五一氏

寺地氏による、本書の訳者あとがきにあるように、本書は平和を求める三つの魂が時代を超えて出会ったことにより生まれました。その三つの魂とは、「カトリック信者 ジョン・F・ケネディ(1963年没)」、「トラピスト派修道士 トーマス・マートン(1968年没)」、そして本書の著者「カトリック神学者 ジェイムス・ダグラス」です。ダグラスは平和主義者マートンに強い影響を受けて本書を書きました。

今年アメリカとキューバを訪問したローマ法王フランシスコが、アメリカの連邦議会で演説した際、アメリカが生んだ4人の偉大な人物を列挙し、その中で、リンカーン大統領やキング牧師とともに、マートンの名を挙げたそうです。アメリカ・キューバ国交回復の舞台裏には、ローマ法王フランシスコの尽力がありました。ケネディ、マートン、ダグラス、フランシスコ、この四つの魂が時代を超えて響き合ったのでしょうか。

1963年11月22日、テキサス州ダラスに出発する運命の朝、いずれ暗殺されると予知していたケネディはジャクリーン夫人に、ライフルによる狙撃を止めることはできないと、暗殺を示唆したそうです。そしてその日、全面的かつ完全な軍備撤廃、アメリカン大学における「平和の戦略」演説、部分的核実験禁止条約締結、カストロとの和解、ベトナム撤退計画と次々に平和政策を打ち出した勇気ある平和主義者、ジョン・F・ケネディはダラスで暗殺されました。

本書には、ケネディ暗殺事件が「語り得ないもの」によっていかに周到に仕組まれたかが、公開された文書や証言をもとに克明に記されています。しかし本書は暗殺の書ではなく、平和の書であり、著者ダグラスによる「ジョン・F・ケネディは亡くなった。いまや平和は私たちの肩にかかっている」というメッセージが、寺地氏の講演を聴き終えた者の心に刻まれました。

AFS8期生 登内鍈二
2015年11月


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