講師:高成田 享氏(仙台大学教授・元朝日新聞アメリカ総局長)

6月25日にAFS友の会主催の講演会が虎ノ門のAFS事務局会議室で開催されました。

東日本大震災直後から多角的な復興支援活動を継続なさっている元朝日新聞石巻支局長の高成田享氏が「6年目の被災地―復興と課題」というテーマでお話されました。

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高成田享さん

1948年、岡山市生まれ。71年、東大経済学部卒と同時に朝日新聞入社。
経済記者として活躍し、経済部次長、アメリカ総局長、論説委員などを歴任しました。
96年から97年にかけテレビ朝日の報道番組「ニュースステーション」にキャスターとして活躍。
2008年、定年と共にシニア記者を志願し石巻支局長となって東北経済、人々の暮らしなどを幅広く発信。日本有数の漁港石巻を拠点に漁船に乗り込んで漁の取材をするなど「さかな記者」としても知られています。

2011年2月、石巻支局長を最後に朝日新聞社を離れた直後、3.11の「東日本大震災」が発生。高成田さんはその豊富な経験や知識から、同年4月、政府がつくった東日本大震災復興構想会議の委員に就任するとともに、震災で親をなくした子どもを支援する「特定非営利活動法人(NPO)東日本大震災こども未来基金」を立ち上げ、理事長として現在まで子どもたちを支援しておられます。
そのほかJETプログラムの外国語指導助手として石巻で活動中に津波の犠牲となった米国人テイラー・アンダーソンさんを記念してつくられた東北支援のNPO基金専務理事、農水省太平洋広域漁業調整委員会委員など多角的な活動を続けておられます。現在、仙台大学教授として教鞭をとるほか東京農大、前橋国際大学などで客員教授を務められています。

著書は『アメリカの風』(2002年、厚有出版)、『こちら石巻 さかな記者奮闘記』(2009年、時事通信社)、『さかな記者が見た大震災・石巻讃歌』(2012年、講談社)など多数。

熊本地震が発生して改めて私たちの記憶に蘇った東日本大震災の被災地の現状や今後の課題という重い話題を、映像で石巻の様子を紹介しながら、時にはユーモアもまじえた穏やかな口調で語られた1時間半でした。
30余名の参加者の中から、被災後の対応に対する質問や積極的な意見がでました。回答の中で、政治・行政レベルでの連携不足、官民の発想の違いと衝突、中央集権的な行政の効率の悪さなどが今後の課題として指摘されましたが、自助努力の大切さも言及されました。

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震災後5年を経て、防潮堤や道路の建設に復興が見え始めているが、住宅建設は遅れており、2016年3月現在、避難者は17万人もおり、66000戸の仮設住宅にはいまだに10万人弱が居住している。
いずれ復興公営住宅が完成すれば、うすい壁一つで区切られた劣悪な住環境の仮設住宅から脱出できるようになるが、逆に家賃が払えない貧困者は統廃合される仮設住宅にとどまることを余儀なくされ、再度コミュニティを失うことで孤立化する。ケア人材の不足などもあって、孤独死は増えるだろう。
国がソフト面に資金を出さないことは問題である。7~8メートルの高さの防潮堤を建設中だが、住民は高台に住居を移しているので海岸近くには人が住まず、しかも景観は損なわれてリゾート地としての価値は失われる。

産業の再生に関しては、国は個人には補助金を出さないが企業の再編を目指すグループ化という名目で工場再建に補助金を出したが、会社を再建しても販路がないので倒産に追い込まれる会社が続出するだろう。
漁師は海辺に住めなくなったことから高台の住まいから通勤という形で漁業を行っているが、子供は身近に漁業を見ることがなくなり、漁業の継承の問題もでてくる。
雇用は事務職が少なく、5年経って土木の仕事が減少していることで、失職者が増加している。母子家庭の場合は特に生活費を稼げるだけの就職口がないなど、問題が山積している。

行政面では、国からの補助金が直接市町村にわたらず、県が介在することで、能率面のみならず地元民のニーズへの対応でも問題が多い。市町村の首長の統率力、対応能力によって、支援活動に大きな差が出る。
70数名の犠牲者が出た小学校がある一方で、犠牲者が出なかった小学校もあり、緊急事態への対応に関する細かなマニュアルの有無が運命を分けた。

5年を経て被災者としての非日常的な生活が日常化し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による不眠、転居した子供の不登校、暴力、いじめなどの問題もある。
子供に与えた精神的な影響は大きく、今年になって小学校ではようやく避難訓練を実施できるようになったものの、当日に欠席する子もいる。

高成田氏が理事長を務める震災遺児・孤児支援の基金ではこれまで200人弱の子供の高校卒業までの学費を支援してきたが、現在最年少者は小学2年生なので、あと10年はこうした支援を続ける。

熊本地震では、通信網の確保や民間店舗の迅速な対応など東日本での経験が生きているが、避難所への食糧配達や人工透析者への対応などの問題には改善が見られなかった。
阪神大震災、東日本大震災、熊本地震と続き、日本列島は地震の活動期に入っている。首都圏での地震には帰宅難民の問題も加わり、住民同士のつながりがある地方とは異なる問題も発生する。


高成田氏はベンジャミン・フランクリンの「天は自ら助くる者を助く」という言葉で講演を締めくくられましたが、被災地では自助努力をしているところは相対的に支援が届きやすいことを目のあたりにされたそうです。
被災地・被災者の自立の重要性も語られました。個人レベルの防災対策として、お風呂の水は抜かない、乾電池や紙おむつなどの買い置き、カセットコンロを用意しておくことなどを挙げられました。

最後に参加者のおひとりが、住民の意識と行動力が大きなパワーになることを、南三陸の「ホテル観洋」の例を挙げて紹介されました。
このホテルは過去の津波の経験から高台に建てられており、震災後ホテルの半分に避難民が居住しています。そこではホテルオーナーの見識や住民パワーについて新聞などでは報道されないことを見て、実感できますし、従業員が語り部の役割も果たしているそうです。
毎日午後一時に仙台駅からホテル行のバスが出ているので、是非お訪ね下さいとのことでした。
報告者:寺地正子(AFS10期生 1963-64アメリカ留学)

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