2016年11月23日(水・祝)のAFS友の会ネットワーキングの集いでは、AFS15期(’68-’69米国)の田中章氏を講師に迎え、「音楽が繋ぐ異文化交流~世界の音楽ビジネスを通して~」と題してご講演いただきました。

今回は田中氏の講演への期待から100名を越える参加申込みがあり、AFS日本協会事務所の会議室の収容人数を超えるため、急遽同じビル内の別会議室に会場を移しての開催となりました。

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田中さんはAFS15期生として米国コロラド州に一年間留学された後、南山大学在学中のAFS東海支部の学生ボランティアを皮切りに現在まで社会人ボランティアとしてAFSの活動を支える活動を続けられてこられた方でもあります。
大学卒業後CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社、以来36年間音楽業界において海外ミュージシャンを日本に、また日本のアーティストを海外に発信、プロモートする国際マーケティングのビジネスに携わってこられました。

本講演では、国境を越えて心を繋ぐ音楽の持つ魅力や社会を変える力、そして数多くのアーティストと仕事をしてこられたご経験の中から何人かのミュージシャンとの深い交流や知られざる素顔などを写真や曲、ビデオと共にご紹介下さいました。


直接関わった海外アーティストとの交流

ワン・リーホン

最初にお話下さったのは、中国圏のトップスターのワン・リーホン(王力宏)。
東日本大震災の際に台湾の人々が多額の寄付をしてくれたが、彼がTV緊急特別番組に最初に電話出演して大きな寄付をしたことが契機になり、この番組だけで20億円もの寄付が集まった。
このような親日家であり中国圏No.1の彼でも見えない国境の壁を越えて日本に進出するのは難しい。本土の国民感情との板挟みにあって日本での本格的な活動に踏み出せないでいる。
田中さんとしてはこうした国民感情を超えて真に音楽の異文化交流が出来るような世界を願うという。

ミッドナイト・オイル

次は、反核、環境問題、先住民問題を歌うオーストラリアの国民的ロックバンドのミッドナイト・オイル。
彼らのアルバム『Red Sails in the Sunset』は日本でレコーディングされ、日本滞在中には田中さん宅でご家族の皆さまと親しく過ごされたそう。
ボーカリストのピーター・ギャレットはその後政界入りし、環境大臣や学校教育・幼児・青少年問題担当大臣を務めた。
ミッドナイト・オイルは2000年のシドニー・オリンピックの閉会式で、先住民族アボリジニに加えられてきた抑圧に対して公式謝罪を拒否する当時のオーストラリア政府への抗議を表す意味で、sorryと書いた黒いジャージを着てアボリジニ問題へのメッセージを込めた『Beds Are Burning』を歌った。
それから8年後、対アボリジニ謝罪演説を行ったラッド首相は、その演説の中で「オリンピックという国家行事に参加しながらも反骨精神を忘れないロッカー魂は、反骨を重んじるオーストラリア人の美風と言える」と称えた。
真摯な姿勢を持つ音楽には社会を動かし平和を推し進める力があると思えた出来事だったと田中さんは語る。

フリオ・イグレシアス

英語圏以外の国のアーティストが成功するのが大変難しいアメリカを制覇し、世界で最もレコードを売ったアーティストとしてギネスブックにも載ったラテン・アーティストがフリオ・イグレシアス。田中さんは、そのフリオのマイアミの家に是非泊まるようにと招かれてご家族で素晴らしい夏休みを過ごされた。
単なるセレブのように捉えられがちだが、実は気配りに満ちた誠実な紳士で、国や人種に対する偏見など全くなく、誰にでも温かい心で接する人だという。
そんなフリオも実は人に見せずに悩むこともあろう。ゴッホに捧げられた曲である『Vincent (Starry Starry Night)』はそんな彼の心情も伝わる曲だという。

マイケル・ジャクソン

田中さんと二人で肩を組むツーショット写真と伴にご披露下さったのがPOPミュージックの最高峰ともいえるマイケル・ジャクソンの素顔。
全ての裁判で無罪を勝ち取っているにも関わらずスキャンダラスなイメージが付きまとい、不当な中傷や根強い人種差別、成功者への嫉妬などの犠牲になった感があるマイケルだが、実際のマイケルは純粋で優しく、社会的弱者に心を寄せ、紛争や人種差別問題に立ち向かい、世界平和を無垢な心で訴え続けた素晴らしいアーティストだという。
来日中、レコーディング時に田中さんがマイケルをお手洗いに案内した際ケロイドのあるお掃除の人と握手をしたいと申し出たそう。その場に居合わせたのは田中さんだけ。マイケルの社会的弱者に対する愛情は本物だと実感したという。
ご紹介下さった曲は、マイケルが尊敬するマハトマ・ガンジーの「あなたが見たいという変化にあなた自身がまずなりなさい」という言葉を想起させる楽曲『Man in the Mirror』。曲と一緒に流れたビデオも実に感動的で、田中さんも何度見ても心に沁みるという。

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日本から海外マーケットへの進出と問題点

日本からアジアへ

日本人アーティストのアジア進出に関しては、元々中国語圏を中心にアジアで日本の楽曲に人気があり、特に香港の歌手は日本の曲を多くカバーし、それに伴ってオリジナルの日本人アーティストも有名になるという流れがあった。
1990年代半ばになって香港で日本の曲のカバーが禁止になると日本楽曲のヒットが一時激減したが、その頃から日本のトレンディドラマがアジアで人気を博し、それに伴って主題歌もヒット、更に1990年代後半にインターネットが普及すると日本の楽曲がリアルタイムでアジアでもプロモートされるようになっていった。
ただ、日本とアジア諸国は近くて遠いところがある。まずビジネスのスタイルが違う。例えば香港などではアーティストの写真は撮り放題だが日本では違うし、日本では取材の仕方にも何かと制約が多い。アジア的なおおらかさとどう向き合っていけるかが今後の課題である。

日本から欧米へ

一方、欧米への進出はアジアとは全く違う。アメリカのマーケットの壁は非常に高い。果敢にアメリカのマーケットに挑戦した日本人アーティストは一様に難しさに直面した。
唯一全米ヒットチャートNo.1になったのは『Sukiyaki』のみ。そのような中、ソニー・ミュージックはアメリカでTofu(田中さんが命名)というレーベルを立ち上げ、日本の楽曲をアルバムサンプラーにしてカッレッジ・ラジオに流したところ、パフィーの曲がカートゥーン・ネットワークのプロデューサーの目に留まって番組主題歌に採用され、更に二人をモデルにした番組が放映された。これはニッチ・マーケットを狙って一定の成功を収めた好例である。
では、英語で歌わなければダメなのかというとそうでもない。アニメ「鋼の錬金術師」の主題歌、L’Arc〜en〜Cielの『Ready Steady Go』は大ヒットし、1998年のパリでのコンサートは始まる前から大変な熱狂に包まれ、日本語でも良い、むしろ日本語の方が良いとなった例である。

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音楽の力

田中さんは「36年間の音楽業界での多くの出会いを通じて、音楽は人を和ませ、勇気付けるだけでなく、時として現実の社会を変える力も持っていることを学べたことは大きな喜びでした」と言う言葉で講演を終えられました。
最後に流して下さったソニー・ミュージックエンタテインメント退職時に後輩達から贈られたというビデオでは、数多くの国内外のアーティストや音楽業界の皆さんが田中さんの優れた仕事ぶりや素晴らしい人柄を証言していたことも大変印象的でした。

尚、講演終了後には、ギター持参で駆けつけて下さったAFS15期の田中さんと同期生の佐藤良明さん、田口雄司さん、衛藤さんのお三方が友情出演で、ボブ・ディランの『風に吹かれて』とピーター・ポール・アンド・マリーの『Puff』を歌って下さり、会場の参加者と大合唱になりました。

小林啓子(AFS14期)


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