コスタリカから自転車で、4年半、50,348kmかけて果たした20年ぶりの再会

“Hola Allan!! This is Hitomi from Japan. We were in New Plymouth in 1997 together. Do you remember me?”
2013年2月21日、facebookで偶然アランを見つけた私は、彼にメッセージを送りました。

アランは私と同じAFS生で、1997年、ニュージーランドで同じ支部に派遣された留学仲間です。出身国はコスタリカ。

右端:アラン、右から2番目:仁美。1997年ニュージーランド、ニュープリマスにて
右端:アラン、右から3番目:仁美。1997年ニュージーランド、AFSキャンプにて

メッセージを送った数日後、そのアランから返事が来ました。
“Guess what! Right now, I am cycling around the world. I am in Guatemala. I left home one month ago.”
自転車で世界一周の旅に出たところだと言うのです。グアテマラから送られたメッセージでした。

1997年にニュージーランドで1年間過ごしたアランは、AFSでの経験から刺激を受け、「いつか自分の目で世界中を見てみたい」という夢を持つようになりました。コスタリカに帰国後もその夢を抱き続け、実現に向けての準備をして、2013年2月に母国コスタリカを自転車で出発したのです。

私とアランが再びfacebookで繋がったのは、“自転車で世界一周”という壮大な冒険の旅に出発した20日後のことでした。

“Hi Hitomi. I’ve been spending time in Georgia for the last month, amazing country by the way. I just got to Tbilisi, capital city and I met one guy from Fukui.”
2015年8月、ジョージアの首都トビリシで、私が住む福井県出身の男性に出会ったことを伝えるメッセージがアランから届きました。この時にはまだ、この2年後に、感動的でちょっと笑えるサプライズが待っていることを知らずに…。

2017年3月、アランが来日への計画を立て始めたことを知らせてくれました。”
“Hi Hitomi. Right now, I’m in Cambodia. I’ll cross to Vietnam in maybe 8 days. Then I’ll ride to Hanoi and I may fly to Tokyo or someplace in Japan.”

2017年4月、ハノイから羽田に到着する日程が決まったことを知らせてくれました。
“Hello. I’m gonna book a flight to Tokyo for June 6th. I must go to my embassy and get a new passport…I may stay 2 days in the city, then I’ll ride to your place.” (Allan)
“Oh, finally! I get to see you!! Exciting.” (Hitomi)

2017年5月、一人の見知らぬ日本人青年から、私のもとにメッセージが届きました。
「Allanと1.5年前にジョージアのトビリシの宿で同じだった者です。その時に”日本人の友達がいる”ということでFacebookのあなたのページを見せていただいたのですが、たまたま自分が福井出身であなたと同じ高校卒だったのでその話をすると、渡してほしいと預かった手紙があります。」

トビリシで、福井出身の男性に出会ったことはアランから聞いていましたが、まさか私に手紙を書いてくれていたとは…!しかも、この青年に預けるなんて…アランらしいと言えば、アランらしいかな、と思いました。
アランの来日の準備をするために、私は自分のfacebookで応援を呼びかける投稿を続けていて、そこにアランをタグ付けしたことにより繋がったのでした。

2017年6月1日 23:45 アランから、羽田空港に到着した知らせを受けます。
“I’m officially in Japan!!!” (Allan Cascante Bejarano)

2017年7月10日 午前9時過ぎ
メキシコ人を夫に持つ友人が用意してくれたスペイン語のウェルカムボードを持って、アランの到着を待ちました。

20年ぶりの再会の瞬間をとらえようと、地元地方テレビ局の撮影が入りました。

最後に会った時、私たちは17歳の高校生でした。留学生という立場で、ともに異国の地で過ごした仲間との20年ぶりの再会。まず一言目、どんな言葉をかけるべきなんだろう。
コスタリカから、中米~アメリカ合衆国~ヨーロッパ諸国~中東~アジアと45か国以上を旅し、4年半もかけて、自転車で会いに来てくれる友人にかける言葉・・・
ニュージーランドでの1年間の思い出…
別々の国で、それぞれの道を進んできた20年間…
facebookで繋がってからやり取りを続けてきた4年半…
心の中にある想いが多すぎて、頭の中が真っ白の状態でした。

そして、

“Allan!”
“Hitomi! 20 years, so amazing!”

お互いの名前を呼び合い、アランの「20年だよ。すごいね」という言葉の後、しばらく私たち二人の間に言葉はありませんでした。

20年前にニュージーランドで「さよなら」を言って、コスタリカにいるはずの彼が、今、自転車に乗って、涙を見せながら私を抱きしめている。そんな状況を、誰が想像できたでしょうか。

20年前のニュージーランドでの留学中、いつも穏やかで、激しく感情を表に出すことはなかったアランの涙を初めて見て、すでに泣いていた私もさらに感動して、溢れる涙をしばらく止めることができませんでした。

1997年12月、ニュージーランド、ニュープリマスのビーチで撮った写真を、アランが大事に持っていました。

1997年12月ニュープリマスにて

20年経った今、この写真と同じ写真を撮りたいというアランに、正直に「嫌よ」なんて、言えるはずがありません。

2017年7月福井県にて

2017年7月10日の再会の瞬間から、想像を超える夢のような毎日でした。
「自転車で世界一周」という彼の壮大な冒険の途中に果たした20年ぶりの再会に、メディア取材も多く受けました。
アランの福井到着前から新聞の取材が始まり、テレビ局2社、ラジオ局2社、新聞記事掲載2回、鯖江市長表敬訪問――アランが福井にいた10日ほどの間の毎日、1日中行動を共にしました。
アランの通訳兼マネージャーのような役割をすることで、彼のそれまでの4年半の世界各国での体験を少しだけ私も経験することができた気がしました。

アラン、福井県鯖江市内ラジオ局にて
仁美、福井県鯖江市内ラジオ局にて
アランと仁美、福井県福井市内テレビ局スタジオ内にて
福井県鯖江市、牧野百男市長を表敬訪問、鯖江産サングラスの授与、テレビ取材
地元テレビ局によるアランの取材。鯖江市内にて

鯖江市文化センターのホールを貸切って、アランとの交流会を開催しました。福井県内にホームステイしているAFS留学生やホストファミリーを含むAFS関係者をはじめ、新聞記事を見てご来場して下さった方も多くいらっしゃいました。

私が経営する英会話スクールの生徒さんにも参加してもらい、アランに英語で質問してもらったりもしました。がんばって勉強している英語を使って、アランと直接コミュニケーションがとれたことは、子ども達にとっても貴重な経験となりました。

2017年8月、2年前にアランが手紙を預けた青年が福井に帰省するということで、その時のポストカードが、私のもとに届きました。アランは福井を去った後でした。

このポストカードの宛名には、私の名前だけで、住所は書かれてありませんでした。そんな絵葉書一枚を、2年もの間大切に保管してくれたこの青年に感謝するばかりです。

私は、アランとニュージーランドで出会い別れてからの20年間、正直もう二度と会えるとは思っていませんでした。その彼が、4年半の月日をかけ、45ヶ国以上の国々を旅し、50,348kmの距離を自転車で進み続け、会いに来てくれました。
たった1年の高校留学が一生の宝となる友情を築き、20年後の未来に感動を与えてくれたのです。
それだけではありません。他の多くの人たちにも影響を与えました。
「コスタリカ」という国名すら聞いたことなかった子ども達が、「ここ、コスタリカだよ」と地球儀を指さしたり、アランが日本を離れた後も「アランさん、今どこにいるの?」と聞いてきたりするのです。
スペイン語を話すコスタリカ人のアランと、日本語を話す日本人の私が、高校留学で出会い、大人になってもずっと友達でいる姿を子ども達に見せることができたこと、そして、外国に興味を持って、「外国の事をもっと知りたい」「外国人と仲良くしたい」と思ってもらえたことが、子どもに英語を教える人間として、また一人の母親として、そして何より一人のAFSerとして、幸せに思っています。

次にアランと私が会うのは、私たちの第二の故郷であるニュージーランド。アランが、アジア~オセアニアと自転車を進め、ニュージーランドに到着する頃、私もニュージーランドに帰って、再会することを約束しました。

AFS44期(’97-‘98)ニュージーランド派遣生 中橋仁美(旧姓 五十嵐)


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