母はAFS21期生(’74-‘75)、私は50期生(’03-‘04)としてアメリカに留学しました。
留学中のある日母から送られてきた手紙に写真が同封されており、そこには母のホストファミリーが母の結婚式に参加している様子が写っていました。
それを見たホストシスターと私は“私達も将来お互いの結婚式に呼び合おうね”と約束をしました。

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そして月日が流れ今から4年前、ホストシスターのペイジが結婚式に私をブライドメイドとして招待してくれました。
新婦の介助をするブライドメイドには新婦の姉妹や仲の良い友人が選ばれます。母も是非行きたいということで母と2人でペイジの結婚式に参加しました。
バチェロレッテパーティー(独身最後の夜を祝うパーティー)やビーチウェディングは素晴らしかったです。また、折角アメリカに来たのなら…と母のホストファミリーも訪ねました。

そして今年はいよいよ私が結婚を考えていた頃、まさかの母の膵臓癌末期という突然の宣告。その瞬間から私達家族は深い悲しみと混乱に陥りました。
母が1ヶ月もつかもわからない状況で式を挙げるか挙げないか…そんな葛藤の最中の5月、母が言いました。
「6月までならがんばるから。私はお葬式なんかより結婚式で皆と会いたいわ。皆が笑ってるのが大好きだから。たとえ…私がもたなくても喪に服さずに結婚式は、やって頂戴……」。
母の目からは涙が溢れ、最後は声になっていませんでした。それを聞き、私は全力で式の準備にとりかかりました。
式まで1ヶ月もないのにホストファミリーは”もちろん出席するわ”と言ってくれ、母のホストシスター達も来てくれることになり、それを励みに母も頑張りました。

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そして何とか6月5日、神戸にて母も私の結婚式に参加することが出来ました。
急な式にも関らず約90名もの方に出席して頂きとても素敵な式になったと思っています。
結婚式後、6月21日、母は還らぬ人となりましたが、ホストファミリーはじめ多くの方に弔って頂き、母も幸せだったと思います。

AFS50期生 / 福田(樫尾)佳那子


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