自由、とは何か。自分が歩む道を自主的に選択して生きている。そういう意味で言えば、僕たち日本人は間違いなく自由な存在だ。だけど、多くの人は「何か」に縛られていると感じているのではないかと僕は思う。
チリで過ごした一年間は、日本には存在しない「自由」の姿を見せてくれた。その経験は、僕の考え方や価値基準を変えた。

これから書く話は、僕が一年間で感じた取り留めのない事ばかりだ。日常生活というのは決してドラマチックではない。普通に「チリ人になった」ことに意味があるのだと思う。
ぼくの体験談が後輩の皆さんに異国で生きることの新鮮さ、可笑しさ、興味を与える事を願っている。そして、南米に足を運びたいと思うきっかけになれば幸いである。

最大にして唯一の壁

留学を決意したのは、日本を出る5ヶ月前だった。それから挨拶の仕方や数字の数え方を覚え始め、基本的な文法事項だけは一通り勉強して、日本を発った。
チリ人は、話すのが速い。ペルー人などと比べるとはっきりと発音する訳だが、とにかく速い。日本人でスペイン語教本でしか勉強していかなかった初心者の僕には、スペイン語を聞いているという確証さえ持てなかった。そして、当然の事だが、教科書のような話し方をする人はいない。
実際にチリに着いて、理解できたのは挨拶だけ。言葉の分からない環境で生きることは、一種のサバイバルである。精神を研ぎ澄ませているためか、体は常に疲れていた。

留学生によく言われる事だが、僕の場合も、3ヶ月経った頃が転機だった。耳が慣れてきて、相手の話している事の大意が理解できる。しかし、言われている事は理解できるのに返事を返せないことが辛かった。
言葉の通じない人間は、対等に見られない。赤ちゃんに対して、真剣に相談する人がいないのと同じ理屈だ。実際、僕も「ゆうたちゃん」などと呼ばれて、悔しい思いを何度もした。不思議なもので、相手の言っている事は分からなくても、馬鹿にされている事は分かるものである。

家族や友達との会話が自然になって、周りが一員として認めてくれるようになったのは半年後だった。悔しい思いをする事も少なくなった(言い返せるくらいにはなったから)。誰とでもコミュニケーションがとれるようになってからは、帰国するまでの毎日が本当に楽しかった。

ところで、全く言葉の分からない中、一番頼りになったのは何であったか。肌身離さず持っていた辞書は確かに心強い味方で、常に僕の相棒であった。しかし、本当に助けてくれたのは、訳のわからない事をまくしたてる当のチリ人であったのだ。決して諦めることなく僕に話しかけ、言葉を教え続けてくれた彼らこそが、本当の先生であった。

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僕の兄弟の話

チリ人は、ラテン民族の中でも特に愛情深い人たちであるらしい。事実、困惑するくらい愛情を注がれた。ホストファミリー始め、多くの友達、チリで知り合った全ての人が、僕の事を温かく迎え入れてくれた。何から何まで分からない事を教えてくれた。いつでも戻っておいで、と別れを惜しんでくれた。
だから、チリが第二の母国のように感じるのも当然の事だと思う。彼らが「大切な人」を何よりも優先するのは、その愛情深い性質によるものだろう。

チリには「兄弟・姉妹」とお互いを呼び合う関係がある。血のつながった兄弟の事ではない。仲のいい友達同士がそう呼び合うのだ。互いに認め合った者同士と言うべきだろうか。
僕が他の誰よりもすばらしい毎日を過ごせたと自負できるのは、僕の「兄弟」たちのおかげだ。共に過ごした時間と相手への信頼感だけが、この関係を作り出す。幸せな時も、悲しい時も、なんでも打ち明ける事ができて、損得のない関係。
付き合いが悪いと怒り出すから、たまに面倒だったけれど、一緒に居て最高に心地のいい連中だった。

彼らは僕にスペイン語を教え続けてくれた人達でもある。街中の看板や張り紙を読み上げさせられて、発音のチェックをされたのはいい思い出だ。
「女の子と遊んでばかりだったでしょ?」とか言われる事もあるけど、僕が学んできたのは「男の友情」だったのだ。
彼らは他にも沢山の事を教えてくれた。女の子を口説く方法、サッカーの楽しさ、宗教とは何か、「自由」とは何か。そして「いま」を全力で楽しむべきだということを。

チリ人が愛するもの

南米おなじみのサッカーはチリでも人気のスポーツである。街の至る所にサッカーコートがあって、子供から大人までボールを蹴る姿がいつも見られた。僕自身、サッカーを通じて本当に多くの友達を得ることができた。どれだけ下手でもサッカーをしている時は、言葉を用いずにコミュニケーションを取ることができたし、懸命に走れば馬鹿にされる事はなかった。その事は常に僕を励ました。
決まって金曜の放課後に「兄弟」たちと集まってフットサルをしたのは楽しかった。みんな靴もボールもぼろぼろで、コートの床はコンクリートだったけれど、暗くなるまで時間を忘れて遊んだ。

サッカーが国民的スポーツだと改めて感じたエピソードがある。チリ代表の試合、それも南米カップを勝ち進めるかどうかの大事な試合があった日の事だ。試合開始の時刻に近づくにつれて、街から人気が消えていく。試合直前には、みんながテレビの前に待機して、街は興奮と静けさが混ざった不思議な空気に包まれる。味方のゴールが決まると歓喜に爆発し、敗色濃厚な時には街全体が沈黙に沈んでいく…。街そのものが生きているようだった。

女の子を口説くとか、陽気に音楽とダンスを楽しむとかは、多くの日本人には抵抗があるかもしれない。だけど、それは間違った行為でもなんでもなくて、彼らは純粋にそれを楽しんでいるだけなのだ。彼らは自分の欲望にひたすら素直だった。ねじ曲がったものがなかった。自然で無理のない雰囲気の彼らといる時、僕は本当に心から笑えた。
きれいなものや楽しい事を、まっすぐに褒めたり愛したりすることは簡単なのに、日本では敬遠されることがある。きっとそこにも「何か」があるのだろう。僕はチリで「自由」を愛することが出来たことを誇りに思っている。

「自由」の風

彼らのまっすぐな表現方法は、遊びの時にばかり発揮されるものではない。学生がみな、自分たちの国の事や生活の事を真面目に考えている。日本にこういう風景はないと思う。
それぞれが違う主義主張を持っている上に、それを自由闊達に論じていた事は驚きだった。仲のいい友達同士でも、国の在り方について正反対の意見を持っている事もある。そういうことを隠しもしないし、それによって人間関係が変わる事もない。

実は、僕は2ヶ月ほど学校に行かない時期があった。チリ全体に学生運動が巻き起こり、大学の授業料引き下げを要求して、学生達が授業をボイコットしたのだ。
若い人達が現状に疑問を呈して社会を変えようと街に出て声を上げる姿を見て、僕は新鮮な感情が生まれるのに気がついた。

僕の暮した街アリカは、チリとペルーの国境に近い港町だ。周りは砂漠に囲まれている。たまに街の外れの砂丘に登った。海に臨んだそこからは、とても美しい日の入りが見られた。そして、そこには「自由」の風が吹いていた。

チリ派遣
AFS58期生 青島勇太

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