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学校対抗の演劇でAFS の友達と

こうして振り返ってみるとあっという間の五ヵ月だった。ほかのニュージーランド派遣の人たちに遅れて一人で成田空港を旅立った日のことを今でも鮮明に覚えている。
一人で日本を離れ、これから家族や友達と離れて異国の地で異国の言葉を毎日使って生活するのかと改めて思うと途端に不安になった。自分は元来シャイなのである。
ニュージーランド航空の機内安全ビデオ(ニュージーランドで撮影された映画、ホビット仕様)を楽しむ余裕もなく、僕は不安と期待の中、第二の故郷になるであろうニュージーランドへと降り立った。

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羊の毛刈りを見に来た時にホストマザーと

さて、ニュージーランドの公用語は英語であって、英語は僕の得意科目であった。学校では何度かテストで一番をとったこともあるし、今年のセンターのリスニングも満点だった。
そんな自信もニュージーランドに来て一瞬で砕かれた。キウィ(ニュージーランド人のこと)の英語はくせがある。AFSをみんなアイエフエスと発音してたのはすごく違和感があった(もっともそう聞こえるだけで彼らはエイと発音しているそうなのだが)。
何より皆のしゃべるスピードについていけなかった。ほかのAFS生が難なくキウィと話しているのを見ると、焦ったし悔しかった。

そんな感じで、最初のころは本当にぎこちなかった。自分がうまくいかないのは、自分の努力が足らないからだと思って、見たり聞いたりした知らない単語を全部単語帳にまとめて覚えようとしたりもした。

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プロムを前にホストブラザー、シスターと

でもそんな僕を救ってくれたのは周りの人たちだった。
ホストマザーは派遣先のAFSの支部長で、昔バックパッカーをしていた。それで、ことあることに日本やほかの国のことについて話してくれて、僕の必死の英語にも付き合ってくれた。
ホストファザーは科学や西洋古典でわからないところがあると(最初に難しい教科ばかり取ってしまったのだ)、何時間もかけて教えてくれた。
ホストブラザーとホストシスターは最初は仲良くなかったけど、徐々に歩み寄って今では本当に家族のようだと思う。
学校の友達や先生、他のAFS生仲間、教会やハンドベルの人たち。多くの人に支えられてここまでやってこれたと思う。

五ヵ月たった今、やっとこっちの生活が「日常」と思えるようになってきた。もしかしたら僕は適応力がないのかもしれない、留学なんてするべきじゃなかったのかもしれない、と思ったことすらある。でも、今は満足して言える。留学に出て本当に良かったと。
こんなにもたくさんの思い出を作って、たくさんの人たちに出会って、時にはいろいろ考え込んだり悩んだりして…たぶんこんなにも濃い期間なんて人生の中にそうそうないと思う。

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ニュージーランド最北端のCape.Raingaにて

留学の目的の1つが「将来の夢・目標を見つけること」だった。まだ見つけていない。でも、牧場に囲まれて、今まで考えたこともなかった農業の仕事がいいなぁって思ったり、日本語のクラスを手伝って、海外で日本語を教えるのもいいなぁって思ったりして、夢の種を見つけることができたと思う。
残りの4ヵ月、夢を育てて、自分が生涯かけてやれるようなことを見つけたい。

2014年7月 ニュージーランドより
AFS61期生/ボランティア奨学生 時野史隆

▼帰国後のレポート 自慢の国ニュージーランド
▼寄附 > ボランティア奨学金
▼高校生・10代の年間留学プログラム


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