帰国便に乗りたくないと涙を流す僕の両脇を、航空会社の職員が抱え込んでゲートに押し込むことになるなんて、初めてアルゼンチンに着いたあの日には夢にも思っていなかった。

準備を重ねてようやく現地に到着したのに、言葉も、人間関係もまったくゼロ。
最短距離をたどって日本に逃げ帰ろうにも、方角を選ぶ必要のない地球の真裏。
出発前に何度も聞かされていたとはいえ、自分の思うように物事が進まないことにイライラしたことを思い出す。それどころか、自分の思いを相手に伝える段階ですでに困難だった。
それでも、逃げず、隠れず、臆せず。出発前に2か月集中して勉強した、拙いスペイン語力を信じて食らいつく。それしかできないから、それだけは死守した。

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アルゼンチンの人たちは、総じて社交的で、日本から来た僕に興味を持ってくれ、話しかけてくれる。
ホストファミリーも最初の一か月だけという約束で、困ったときには英語で助けてくれた。
その後は全てスペイン語。きつかったけれど、通じないということはホストファミリーも大変なはず。でもそれを貫いてくれたのが、愛情だと気づいたのは帰国が近くなってからだった。
そのとき、「この場にいられるのは、自分をサポートしてくれるひとが、日本にも、アルゼンチンにもいるんだ」という気持ちが湧いてきて、嬉しくて、でも申し訳ないような複雑な気持ちになった。
そして、自分の外側だけではなく、心の中にこそ、国も人もあるのだと実感した。
それからは「人とのつながり」というのは、自分にとって宝物だと意識するようになった。

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クラスメイト達と。AFSの紹介プレゼンテーション時に撮影。

現地のAFSトリップに出発する朝、荷物の確認をしていたら、自分が入れたものじゃない、日焼け止めが入っていることに気づいた。ホストマザーが勝手に僕のかばんにしのばせてくれていた。
そのことに僕は、もう子供でもないのにとホストマザーに抗議した。
でも、お母さんは、なんの義務もないのに日本人である僕を心から受け入れてくれ、異国での僕を自分の子と同様に気遣ってくれていたことに、後になって気付いたとき、とても後悔、反省した。

学校でもそうだった。みんな身勝手で、その場限り。瞬間々々を生きていて、前後関係がなく、僕も同じ調子でいると、そのうち自分が自分でないというか、どの自分が自分なのか分からなくなってくる。
時に激しく喧嘩をしても、翌朝には、人と人との根本的なつながり、信頼関係に戻る。あとに引きずらず、お互いの中身でつながり合う。仲間意識が強く、いつも相手のことを思う。
帰国後、折に触れてその時の感覚がよみがえってきている。
AFSのサポート、学校や地域の人たちの愛情。そういうものに支えられていたし、それに応えたいという気持ちが強く浮かんできて、時にウーン・・・と思う瞬間があっても、その場に留まろうというエネルギーに変えることができるようになった。

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ホストブラザーと

1年間本当に素晴らしい経験をした。あああと言う間に日本に帰ってきている自分と出会うことになり、びっくりしている。
出発前と同じ僕ではない、成長した自分がいる。
そして、僕の留学は、まだ続いている。帰国して1ヶ月経つが、今でも毎日、ホストファミリーの誰かからおはよう、元気か、おやすみ、とメッセージが届く。
サルタに留学してきていた世界中の仲間との連絡も絶えない。日本人とドイツ人がスペイン語で帰国後の様子を交換し合う。
この留学で僕は宝を見つけた。人生の宝だと断言出来る。AFSの交換留学は、そういうものだと思う。
支えて下さった皆様、今も支えて下さっている皆様、ありがとうございます。心から感謝しています。
次は自分が支える立場に立てる様に、頑張っていきます。

2015年3月 アルゼンチン派遣
AFS61期生/ボランティア奨学生 山内遼

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