私は、チューリップと風車の国として知られるオランダに、約11か月間滞在しました。なぜオランダを選んだのかとよく聞かれるのですが、実は、特にオランダにこだわりはありませんでした。異文化を体験することに大きな意味があるのだからどこに行くことになってもいい!と考えていました。
治安が良くたばこを吸う家庭が少ないといわれていること、またきれいな国というイメージがあるという理由で第一希望にしたのがオランダでした。

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出国までの一年間、たくさんの準備をして始まったオランダでの留学生生活、期待とやる気にあふれていました。見るもの全てが新鮮で、いつも出会いや発見がありました。しかし、楽しいばかりの毎日は長くは続かず、辛さを感じるようになりました。
ホストファミリーは優しく温かい人達でしたが、いつも気を使っていなくてはならないのは息苦しく、本当の家族ではない寂しさも感じていました。日本の家族と離れることで、初めて、普段どれだけ家族に支えられていたのかを感じました。
更に私は、人と話すことにとても苦労していました。話したいことがあるのにそれを声に出す勇気がなかなかでませんでした。言葉が不自由なことが大きな理由だったと思います。
学校ではそれがもっと苦しくなりました。私が戸惑ったのは、クラスメイトが私から質問したり話しかけたりしない限り助けたり声をかけたりしてくれないことでした。周りに困っている人がいれば助けるものだという思い込みが、彼らが助けてくれないのは私が迷惑だからではないかというさらなる思い込みを生み、ますます話せなくなってしまいました。

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そんな状態が変わっていったのは、ホストファミリーの優しさのおかげです。私の寂しさをくみ取っていつも家族の一員として接しようとしてくれているのを感じました。私のオランダ語が上達するように、自信を持って話せるように、毎日たくさんの質問をしてくれました。
そしてホストファミリーが言うように、オランダの人達は皆、私が勇気を出して話した時にはいつもしっかりと耳を傾け、力になろうとしてくれました。他人にあまり干渉しなかったり主張が強かったりするのは、個人の自由を尊重しているから、それだけ相手を認めているからだと理解できるようになりました。それと同時に少しずつ話せるようになっていきました。

私は11か月間同じホストファミリーにお世話になりました。楽しいことも辛いこともなんでも話せる関係を作ることができて本当に良かったと思います。
ママとパパは連休があれば電車や車や自転車で、いろいろな場所に連れて行ってくれました。私が外出するときはいつも心配して、夕方はめったに使わない車でわざわざ迎えに来てくれました。
私のホストシスターも私にとって特別な存在でした。毎日オランダ語で日記を書いて直してもらっていました。よく二人で日本の料理をしたりお菓子を作ったりしました。彼女は私を受け入れたことで日本に留学することを決め、今、AFSer として日本に滞在しています。

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近所の人達はとても仲が良く、誕生日や記念日があるとパーティーやお茶会を開いて招待し合います。特に隣の家の9歳の男の子と5歳の女の子と仲良くなり、よく子守にも行きました。その男の子は日本のことに興味しんしんで、私がひらがなとカタカナを教えると喜んで家族や友達にも教えていました。

学校は多くの時間を過ごした場所の一つです。学校に通うことは、現地の子供たちの日常を知るために重要な体験でした。
学校や教育制度はオランダと日本で最も違いの大きいことの一つだと感じました。オランダでは、日本より教科の種類が多くその中から選択できるので、一人ひとり時間割が違います。授業は自習やディスカッションが中心で、グループ制作やプレゼンテーション、レポートづくりもたくさんあります。
私は、言われたことを言われたとおりに真面目にやることに慣れていたので、その自由の多さや自分で考えだすということがとても難しく感じました。でも先生方は、私が、これは難しくてできないけれどこれならできる、こんなことをやりたいというようにお願いすると、快く相談にのってくれて、他の生徒の勉強の妨げになるのではないかという心配はいつも必要ありませんでした。
クラスの子たちは、授業中、私が何かわからなくて聞くと、自分のことをよそに一生懸命説明してくれました。日本の地理や日本語についてのプレゼンテーションをしたこと、文化の授業で友達と劇や映画を作ったこと、生物の授業で動物園に動物の行動を観察しレポートを作ったことなど、思い出深いことがたくさんあります。

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私は、校外の活動としてボーイスカウトに入りました。オランダではscouting(スカウティング)と呼ばれています。子供のscoutingは15歳までですが特別に入れてもらうことができました。
森の中で遊んだり、ゲームをしたり、料理をしたり、丸太とロープでものを建てる練習をしたり、キャンプやボランティア活動をしたりしました。かわいい子供たちに会えるので毎週土曜日のscoutingをとても楽しみにしていました。

一カ月に一回ほどAFSのキャンプや行事があり世界各国から来たAFSの留学生たちと交流しました。彼らの英語力やそのパワーに圧倒されることもたびたびでしたが、私にとって、同じ留学生としての思いを共有し、支え合い励まし合える大切な存在でした。
母国の生活について話したり、お互いの国の言語を教えあったり、留学生どうしオランダ語で話したりする楽しさは忘れられません。お互いの家に招待し合ったり電車で旅行をしたりたくさんの思い出ができました。

私はこの留学で、自分の弱さを知り、初めて劣等感や孤独を感じました。予想外のことで戸惑い、悩みました。でもそれが私を成長させてくれたと感じています。
飾らず堂々として、自分をしっかりと持っているオランダの人達はとてもかっこよくて、自分が頼りなく、幼く見えて仕方がなかった時期がありました。
今は、人と関わり自分との様々な違いに触れたときに、自分と比べて落ち込んだり喜んだりするのではなく、弱いところも含め自分を認められるようになったと思います。自分を認められるからこそ他人のことも大切にできることを学びました。
私の中にある価値観や考え方に気づかされた出来事の数々は、いろいろな考えや情報、知識から物事を客観的に見なければならないという思いを強くするきっかけになりました。
言葉が通じない困難からは、理解を深めることができる言葉の大切さと、理解すること自体の喜びを実感しました。言葉を大切に選んで使い、人の言葉を注意して聞きたいと思うようになりました。また、オランダ語、英語、そして日本語も、もっと学ばなければならないと感じました。

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帰国して感じるのは、毎日の生活での気持ちの持ち方の変化です。テストや宿題、部活や行事に追われる忙しい学校生活は変わりません。その中でも焦ったり追い詰められたりせず、気持ちの余裕をもつことができています。
この留学を通して、自分が将来なりたい姿が見えてきて、より具体的な目標ができたからです。ボランティア、部活、読書といった、机に向かう勉強以外のことにも積極的に取り組むようになりました。

私はこの留学を通して、言葉が育った環境がどんなに違っても同じ人間として人と人はお互いを尊重できると実感しました。言葉が通じない時でも笑顔やハグを交わすことで暖かい気持ちになれたからです。
思い浮かぶ顔と声が世界中にでき、世界で起こる問題を、より身近に感じるようになりました。そんなお互いの幸せを願う人と人との関係が広がっていくことが、人が人を、殺したり、傷つけたり、脅したりすることのない世界を全ての人が願うことにつながると思います。
そして、それが交換留学の持つ社会的役割だと私は思っています。

AFSの派遣生になった時の胸の高まりを、私は今でもはっきりと覚えています。それから今日までの二年と四カ月、多くの体験と出会いがありました。一生の宝物になるこの素晴らしい体験を支えてくださった多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。この二年間で築いた人との繋がりを、これからもずっと大切にしたいと思います。
また、私が体験し、感じ、考えたことを広く伝えていくと同時に、異文化についての理解を深め、世界が抱える様々な問題の解決に協力できる人になれるよう努力を続けなければならないと感じています。

同じ留学とはいっても、何を目的として、何を経験し、何を考えるのかは人それぞれ違います。でも、そこから得られるものが住み慣れた場所にいては分からない貴重なものだということに変わりありません。そして、それはそれぞれのその後の人生に何らかの影響を与えるはずです。
多くの高校生が日本を出て異文化の中に飛び込み素晴らしい経験をすることを、私は心から願っています。

AFS61期生 オランダ派遣 山﨑睦子
(北海道・旭川支部

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この記事のカテゴリー: オランダ 年間留学体験談