【現地から帰国後、精神面や進路、就職にどのように影響したか】

帰国後の大学進学に関しては、もともと社会福祉関係の仕事につきたいと思っており、留学を経てますます英語が好きになり、もっと勉強したいと考え、社会福祉と英語を勉強できる上智大学に入学しました。留学で親元から離れ1年間過ごした経験の中で、自分で道を決めて実行する楽しさを知り、またいろんなことに挑戦する度胸もつき、もっと世界を見て世界の人々に会ってみたいというワクワク感にあふれていました。長期の休みになるとバックパックひとつ背負って、アジア、ヨーロッパ、北アフリカなど、多くの国を旅しました。

大学院では地域研究を専攻し、アジアに住む精神障害者の福祉の研究をしました。現地で生活しながら、精神障害の方々や家族、治療者に英語でコミュニケーションを取りながらインタビュー調査を行いました。こうした研究を行おうと思ったきっかけは、留学や海外への渡航を経験し、世界には日本とは全く違った、多様な文化や考えがあることを知り、それを体験する楽しさ、理解することの大切さを知ることができたからだと思います。世界共通言語である英語というツールを使いこなせるようになったことで、世界中の人々と語りあい、お互いを理解し合うことができたのは、本当に貴重な経験だと思いました。

卒業後はソーシャルワーカー(社会福祉の専門相談員)として病院に勤めました。患者さんの中には、アフリカやアジアから難民の方々、日本語が話せない、お金がないなど、さまざまな課題を持った方もおり、英語での通訳を依頼されたり、役所や外国人支援NPOとやりとりを行ったりと、福祉的サポートを行いました。私自身、留学中は言葉もよくわからず、孤独やさみしさを感じ不安感でいっぱいだった経験もしたので、患者さんたちの不安感やつらさを、身をもって共感し、支援に繋げていくことができたと思います。

このような中で、日本では在日外国人への支援が諸外国に比べて立ち遅れているという問題意識を持ちはじめ、在職しながら再度大学院に入学し、日本に住む難民の社会福祉や生活に関する調査を行い、修士論文を執筆しました。海外に目を向けるだけではなく、国内にも世界中から渡航してきた人々がたくさんおり、多くの課題があり、私たちにできることは何かを考えるきっかけとなりました。現在は転職して市役所に勤務しており、今後も地域の外国の方々の福祉的側面の支援ができるようになりたいと模索しているところです。

こうした体験から、英語を学ぶことで世界の人々コミュニケーションを取ることができ、また世界が広がることを痛感し、自分の子供たちにも、毎日英語で語りかけをして、世界にはたくさんの文化や考え方があること、世界の人々とふれあうことの楽しさを少しずつ伝えています。子供たちに英語で話していると、かつてホストマザーが私にやさしい英語で語りかけてくれたことを思い出し、あの留学の経験があったからこそ、次の世代にもこの体験や思いを語り継ぐことができると実感しています。

【留学先で驚いたこと、楽しかったこと、感動したことなど具体的なエピソード】

オーストラリアでは、ビクトリア州のワンガラッタ(Wangaratta)という街に1年間留学しました。メルボルンに到着してからホストファミリーの家までは車で3時間かかりましたが、その道すがら平原がひたすら続き、ユーカリの木々が広がり、広大な風景に圧倒されました。ゴルフ場には野生のカンガルーがいたり、道端の木にコアラがいたり、近くの国立公園は深い木々に覆われとても神秘的で、大自然の豊かさや美しさ、言葉には表せないほどの雄大さに感動しました。

また驚いたことは、留学当初はほとんど英語がわからないことでした(笑)。中学から5年間英語を勉強してきて、成績もまあまあだったものの、初歩的なコミュニケーションすら難しく、何を言っているのかわからない状態…。ESLはない学校だったので、現地の生徒に交じって、わけのわからないまま授業に参加していました。国語の授業で1冊の小説を渡されましたが、単語を1つ1つ辞書で調べても、文章となると意味が分からない。そんな私に、ホストマザーは一文一文丁寧に説明してくれ、宿題などもひたすら付き合ってくれました。帰国間近になってその小説をもう一度読んでみたところ、すんなりと意味が入ってきて、いつの間にか英語が上達していたことにもびっくりしました。

留学当初はワクワク感でいっぱいで、なんでも新鮮に思えたのですが、数週間経ったころから、英語の分からなさやさみしさからホームシックになってしまうこともしばしばありました。今はメールやLineで世界各地の人々と瞬時にやり取りができ、すぐに日本の家族にも愚痴をこぼすこともできますが、当時はインターネットがあまり普及しておらず、日本の家族とは、手紙か、1か月に1回の国際電話の連絡だけでした。今の時代からみると不便に感じるかもしれませんが、こうやって日本から遠ざかり、オーストラリアの、英語のみの生活にどっぷりと浸かれたのは、とてもよい経験だったと思います。

高校での授業はとても興味深かったです。日本との違いを感じたのは「座学で終わらず、身をもって体験をし、考えさせる授業である」ということでした。たとえば「Outdoor Education」。数か月に1度、テントや食料など、すべてバックパックに背負って、2泊3日の登山やトレッキング、洞窟探検やクロスカントリースキーなどに行きました。夜はテントを張って野営し、川の水で料理をしました。事前授業では、地図を見ながらルートや野営のポイントを自分たちで考えたり、ツアーに行く際の気候を考慮しながら服装を考えたりと、与えられたことを暗記するのとは違い、自分たちの頭で考えさせる授業であったことが印象的でした。

学校ではクラブ活動にも参加しました。留学前から吹奏楽でサックスをやっており、高校でもJazz Bandに入って、Jazz Festivalに出演したり、路上ライブをしたりと、音楽を通じて多くの友達ができました。また、Debutant Ballというダンスパーティーにも参加しました。このパーティーはもともと、欧州諸国で上流階級の女性が社交界デビューをした習わしが現代に引き継がれているもので、ステイした高校では11年生(高校2年生)になると希望者が参加できました。数か月かけて社交ダンスやマナーの練習をし、当日はウェディングドレスのような真っ白なドレスに身を包みお化粧をし、皆の前でダンスを披露し、日本では経験することのできない素敵な夜を過ごすことができました。

debutante ball(ダンスパーティー)の写真

【ホストファミリー、現地の友人、現地で知り合ったAFS生などとの思い出】

ホストファミリーは、ホストマザーと3歳年下のホストブラザーでした(同い年のホストシスターは同時期にAFSで日本に留学していました)。ホストマザーは優しくも厳しい方で、一時期はいつも怒られているような気がしてうまくいかないと感じる時もありましたが、本当に私を大切にしてくれているからこそ厳しい時もあることに気づき、留学が終わるころには心から好きになり、20年経った今でも大切な、大好きなマザーです。
ハンドメイドや料理を趣味にしていたマザーは、キルティングや料理を教えてくれて、休日に2人でお裁縫やクッキングをしながらおしゃべりしたのは、本当に楽しい思い出でした。英語もできず、泣いてばかりいた私を励まし、時にはわが子のように叱り、1年もの間支えてくれたファミリーには、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

同じリジョンのAFS生との写真

同じリジョンのAFS生たちとは、夏休みにサファリツアーに行きました。数週間かけてバスでオーストラリアをまわるこのツアーは、AFSの仲間との絆を深め、また広大なオーストラリアの自然を体験できた本当に素晴らしい経験でした。オーストラリア中央にあるアリススプリングまで行き、エアーズロックに登ったり、夜は星空の下、テントでキャンプをしたり、毎日が新鮮でした。20数か国、本当に多くの国から来たAFSと語り合ったり、お互いの文化を知ることができたのは、いい思い出です。

【ホストファミリーや現地の友人との続く絆】

ホストマザー、ホストブラザーとの写真

ホストマザーとは電話や手紙でやり取りをしており、ホストシスターやブラザー、留学仲間などとはfacebookを通じてつながり、近況を知ることができ、20年前の留学当時と比べ、本当に世界は狭くなったなと感じます。
マザーの8月の誕生日には毎年電話をしています。久しぶりに話すのですが、当時と変わらない優しい声でほっとします。毎年、お互いの近況を報告しあい、「仕事はどう?家族はどう?」と心配してくれて、20年たった今でも、やっぱりマザーは本当の母親のような存在だなと感じます。最近、私の子供が片言の英語を話せるようになったので、電話で「Hello! How are you?」と会話をすると、とても褒めてくれ、喜んでくれました。

【派遣先への里帰り】

帰国して4年後、オーストラリアへ里帰りし、1週間ホストマザーの元で過ごしました。本当に懐かしく、近所のスーパーに行ったり学校近くを歩いたり、あんなこともしたなぁとたくさんの思い出がよみがえってきて、やはりここは「私の原点」なんだと実感しました。
マザーはとても喜んでくれて、思い出の地をドライブしたり、懐かしい方々に会ったり、また一緒にクッキングをしたりと、瞬く間に日は過ぎました。最後に駅のホームで別れる際、お互い泣きながらハグし合った時には、言葉を交わさずとも心が通じ合っている絆を感じました。
私の子供たちがもう少し大きくなったら2人を連れてオーストラリアに里帰りすると、ホストマザーと約束しています。子供たちにもいつか、こうした素晴らしい経験をしてもらいたいと思っています。

松尾智美

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