私がAFSで留学してからもう5年が経ちました。現在、私はオーストラリアにある大学に通っています。
留学前には信じられないことでしたが、今でもAFSを通して出会った人たちとつながっているのです。

私の留学はホストファミリーとの出会い無しには語れません。私の最初のホストファミリーはWaginという西オーストラリア州にある小さな町のご夫婦でした。
ホストペアレンツはイタリア出身で食事を大切にしています。ホストファザーは野菜や果物を育てていて、いつも私にそれらの名前をクイズにしていました。
ホストマザーは料理好きで、一緒に夕食の準備やお菓子作りをするのが私は大好きでした。Waginの家族と過ごす日々はとても楽しかったのですが、彼らが親戚のことで忙しくなってしまった為、ホストチェンジの話が出ました。そのことを聞いた時はとても不安に感じたのを今でもよく覚えています。
しかし2軒目のホストファミリーはそんな心配をする必要がないくらい私のことをあたたかく迎えてくれました。その家族はWaginから50kmほど離れたNarroginに住む南アフリカ出身の家族で、ホストブラザ一1人、ホストシスター2人。
ホストファザーは家で羊を勝っていて、毛刈りの際に選別のお手伝いをさせてくれました。
またホストマザーは私のことを本当の娘のように扱ってくれ、それは今でも変わっていません。
ホストチェンジを嫌だと初めは思ったものの、帰国する頃にはこの家族に出会えて良かったと心から思うようになりました。

ホストファミリーの羊たち

AFS留学を終え、日本に帰国し、その後の進路を考えた時、オーストラリアにまた戻りたいと思いました。その理由はたった1年弱の留学ではオーストラリアについて知りたりなかったことと、せっかくついた英語力を生かした進路選択をしたかったこと、そして将来AFS留学中にお世話になった方々に恩返しをしたいという思いがあったからです。オーストラリアの大学に進学することは簡単ではありませんでしたが、両親の協力もあり、なんとか大学への入学許可とビザが下りました。

私が再びオーストラリアのパース空港に下り立ったのは、帰国から1年半後のことでした。そこで迎えてくれたのはAFS留学でお世話になったNarroginのホストシスターでした。
実は私が通っている大学に彼女も通っていたのです。その為、私が困った時には色々と助けてくれました。
また進学して約半年が過ぎた頃、もう1人のホストシスターも同じ大学に進学することになり、3人で一緒に住まないか、という話が出ました。もちろん私は快諾します。それまで学生寮で生活していて、あまり人との関わりがなかった私にとってホストシスターたちとの生活はまさに姉妹との暮らし。
夕食は当番制でお互いに色々な料理を覚えました。またホストシスター達と暮らすことでNarroginのホストファミリーの家へ里帰りする機会も増えました。最低でも月に1回は里帰りしていました。

Narroginのホストファミリーだけでなく、Waginのホストファミリーの元へも里帰りしました。久しぶりに行くと、見知らぬ犬が…。なんと私が帰国した後、飼い始めたとか。また赤ちゃんだったホストペアレンツのお孫さんが大きくなり弟が生まれていることなど、私は驚いてばかりでした。
が、ホストペアレンツにとって、もっとびっくりすることがありました。それは私の年齢です。お互いに「留学していた頃からそんなに時が流れてしまったね。」という話に。
こんなに時間が経ってしまっても、私のことをいつも気にかけてくれ、連絡をくれたり、いつでも泊まりに行かせてもらえたり、私は本当に幸運だなあと思います。

AFS仲間との再会

ホストファミリーに加え、AFS留学中に出会った友人達ともつながりがあります。西オーストラリアで行われたAFSキャンプで出会った仲間がいます。
彼女達は私の帰国後、日本で1年間を過ごしました。その中の1人は私と同じ支部に滞在して、日本でもオーストラリアでも同じ支部になりました。
彼女とは特に頻繁に連絡を取り合い、会うと地元トークで盛り上がります。その他の友人達とも会うと日本語と英語とがごちゃまぜになっておしゃべりをします。
AFS高校留学という共通の経験があり、分かり合えることも多い為、いつも元気をもらいます。

留学前に「AFSは留学から墓場まで」という言葉を聞きました。当時の自分は全く信じられませんでしたが、今となってはその通りだと思います。
でもAFSを通して出会った家族や友人とつながっていられるということは、私にとって大変嬉しいことです。そうやってつながっていく中で、それらの出会いが奇跡のようだと気がついたこともあります。
Waginのホストファミリーの元へ里帰りした際、プレースメント時の話になり、ホストマザーがこう言いました。
「私たちはAFSに男の子を受け入れたいって希望を出したの。でも、あなたの写真を数枚見て、その全てでニコニコしていたから、女の子でもあなたを受け入れると決めたのよ。」
このことを聞いて、私は本当に素敵な家族に出会えたと思いました。また、Narroginのホストファミリーは私を受け入れると急に決めてくれたことを大学に入ってから知りました。
Waginからのホストチェンジが決まってから、なかなか次のファミリーが決まらずに約1ヶ月。ホストスクールを変えなくて良いホストチェンジができるように支部員の方々がファミリーを探してくださっていました。
支部員の中に私のNarroginのホストマザーのお友達がいらして、その方がホストマザーに声をかけてくださったそうです。そしてホストマザーが私を受け入れることを決めてくれました。
ホストシスターは「あなたがホストチェンジしてくる前日の夜にお母さんが、『明日からうちに留学生がくるから』って言ったのよ(笑)。」と教えてもらったこともあります。
そのような忙しい状況でもあたたかく私のことを迎え入れてくれて、感謝の気持ちしかありません。

AFS留学の約1年間を振り返ると、日本で過ごさなかった高校の1年間は大きく、正直なことをいうと帰国後の勉強では苦労しました。しかし、それには変えられないいくつもの出会いが留学中にはあり、留学して良かったとしか思いません。
AFSでお世話になった方々に恩返しをするという目標を達成できるように勉学に励んで行きたいと思います。
いつまでもAFSの縁が続きますように。

-森知佳

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