―国際本部が全プログラム中止を決めてから、4月21日に最後のグループが帰国するまで約1か月。どんなことが大変でしたか。
どの国が、いつ、ロックダウンになるのか?時間との戦いの中で国際便も国内便もみるみる便数が減り、状況がめまぐるしく変わる中で、安全にアレンジを進めるのは本当に大変でした。
国際便の手配は派遣国である日本が行うのですが、その便に乗せるためにはホストファミリーに連絡をとり、現地のボランティアに移動をサポートしてもらわなければならないので、受入国AFSとの綿密な連携が必要です。飛行機の空きがあと数席しかないとわかったら、受入国スタッフを夜中にたたき起こして了解してもらったりと、時差のある中では本当に24時間体制でしたね。
そうして移動の手配ができ次第、また変更や乗り遅れがあったときには直ちに、サポート担当スタッフが昼夜問わず日本にいる保護者の方と連絡をとって、不安や焦りの気持ちを受け止め、寄り添ってくれました。国内でも役割を分けたうえで連携体制がとれたことは良かったと思います。
生徒たちにはできる限り早い便を手配しますと伝えて、ヨーロッパ派遣生は大半が1週間程度で帰国となりました。パラグアイ派遣生にいたっては「7時間後にホストファミリー宅を出てください」という連絡になってしまい、パッキングもお別れの時間も十分にとってあげられませんでした。可哀そうでしたが、それを逃すと本当にいつ帰れるかわからなかったので…。
―前半はとにかくスピード重視の対応だったと。後半になると異なる対応もでてきましたか。
3月後半以降は、現地で空港までたどり着けないというケースがでてきました。国際便がとれていないと、国内移動の許可がでないなど制約が厳しくなってきたのです。このとき、在外公館がすみやかに領事レターを発出してくださったおかげで、最短のスケジュールで調整できましたが、それでも、ようやく空港にたどり着いた後に欠航になり、何時間もかけて再びホストファミリーと自宅に戻ってもらったこともありました。
国際便と国内移動をセットで調整しなければならなくなったことで、アメリカについては、両方の便の手配を派遣国側で行う体制に変わりました。約100人分、ひとりひとりの最寄り空港を確認して、欠航と戦いながら、どの便がいつどこに飛ぶかをパズルのように調整するのは、これまでに体験したことのない対応ということもあり、本当に大変でしたね。
日本への入国拒否が拡大する中で、日本パスポートでない生徒が無事に入国できるかどうかというケースもでてきました。受入国をなんとか出国できても、入国が拒否されることがあったら一大事です。出入国在留管理庁に確認をとって対応するという連携もありました。
―国際便はストップしてしまうと、もう手立てがないですよね。
通常の国際便がストップしているところでも、各国政府がチャーター便を出しているケースがあり、欧州やアメリカの臨時便に乗せていただくこともありました。臨時便はWEB上に情報が載らないことも多いので、現地の日本大使館から情報をいただいたり、受入国AFSのスタッフに空港にへばりついて情報をキャッチしてもらったりしました。
臨時便があることがわかっても、身ひとつで乗れるわけではなく、健康診断書などの書類を作成したり、専用バスに乗る手配をつけたりと準備が必要でしたが、大使館の方には、未成年ということで特に気にかけていただきました。“未成年の海外渡航は不安”というイメージがあるかもしれませんが、“未成年だからみんなが助けてくれる”という面もあるのだと感じました。
―各国チャーター便はもちろん、日本から遠い国はそもそも直行便がなかったりして、乗り継ぎも大変ですね。
それは今回、身に沁みました。3回乗り継ぐアレンジだと、欠航になるリスクが3倍ですからね。
その中でも、あちこちで関係者の方に助けていただきました。例えばパナマ派遣生はオランダ経由の臨時便で帰国したのですが、そのとき、かつて日本に留学していた元受入生が空港で迎えて、アムステルダムのホテルに2泊してくれました。出歩ける状況でもないので、一緒にホテルで缶詰めになってくれたのです、しかもご自身の有休を使って!
チリ派遣生も3回欠航したうえに、ロンドン経由で帰国しました。イギリスにはAFS組織はないのですが、在外公館にAFS関係者がいらしたので、何かあったらサポートしますと仰ってくださったのが心強かったです。
アルゼンチンからの帰国は、経由地のマイアミで、アメリカのボランティアがサポートしてくれました。ちょうど誕生日を迎える生徒が二人いることがわかり、急遽お祝いをしてくれたそうです。大変な状況の中でも、生徒が喜ぶことをしてあげたいと心から寄り添ってくれたことは嬉しかったですね。
―いろんなところで、多くの人が助けてくれたのですね。
本当に。AFSファミリーが世界中にいるので、目途が立ちにくい状況でも、チャンスがあれば出国させようと動くようになりました。途中まで行けば、どこかで助けてもらえることがわかったので。
AFS関係者の中には医療従事者や感染症がご専門の方もおり、最新の情報をくださったり、相談にのっていただいたりもして、安心して判断することができました。
何より、現地の感覚がよくわかっていて、現地に人脈がある現地のAFS組織の存在は、通常の留学生活中はもちろん、このような緊急時にもとても頼もしい存在でした。
ある国のスタッフは、臨時便サイトに欠航の表示がでていたにもかかわらず、航空会社との交渉の雰囲気などから“この便は飛ぶ”と確信をもって対応していました。実際、その便は無事に飛んだのですが、そのとき彼からのメールはこんな言葉で結ばれていました。
「It’s AFS magic」