新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大を受けて、 AFSは全世界で進行中だった約7000人のプログラムを中止いたしました。これにより、日本から世界36ヵ国・地域に留学していた342人、世界から日本に来日していた37ヵ国・地域255人が帰国しました(2020年7月15日現在)。

理事長からのメッセージ

「私たちは、次世代への異文化理解教育の機会をあきらめることは決してありません。むしろ、閉塞感あふれる世の中であるからこそ多様性をみとめることの大切さを、あらためて日本中に広めていきたいと思っています。高校生たちが再び世界に雄飛する日に夢を馳せて、AFSは活動を進め、着実に進化していきたいと思います。」(理事長・加藤暁子)

早期帰国した生徒の声

フィンランドの教育は予想していた通りとても進んでいたし、みんな物怖じしないで私に話しかけられるほどの英語力をもっていました。自分の英語力の無さに情けなさを覚えるとともに、日本とフィンランドの授業などの仕組みの違いに驚きの連続でした。
周りの言っていることが少しずつ理解できるようになってきて、自分の言いたいことも簡単になら伝えられるようになってきて、友達が遠出しようと誘ってくれて、もうひと段階成長できそう。そんな中で早期帰国になってしまい、悔しい思いでいっぱいではありますが、この無念な終わり方ができたから、もう一度フィンランドに帰りたいという思いは人一倍あるだろうし、そのための努力も惜しみなくしようと思えています。
(フィンランド派遣生)

2月の時点では、オランダには1人も感染者がいませんでした。しかしイタリア北部からの帰国者がコロナウイルスに感染していたと報道されてから帰国までの1か月で、オランダの感染者数はなんと1万人にまで膨れ上がっていました。オランダは九州ほどの面積しかない小さな国なので、国民が仕事で全国を移動するということが日常です。感染者の増加に比例するかのように、コロナウイルスを理由に差別を受けることが多くなりました。街中でコロナ!コロナ!と叫ばれる度に悔しくなり、1人で外を出歩くことも億劫になりました。このままではいけないと思い、近所の障がい者施設でボランティアを始めました。新しく出来た自分の居場所では、どこから来たの?将来の夢は何?という留学1か月目に戻ったかのような質問から始まり、しかしあの頃よりも間違いなく成長したオランダ語で返答することができたことは、自信に繋がり、暗くなり始めていた自分を切り替えてくれました。
しかしその生活も長くは続かず、3月14日に早期帰国の知らせが届き、18日に日本へ帰国しました。今思えばあのまま留学を続けていてもコロナウイルスという終わりの見えないストレスを抱えながらの留学は良いものにはなっていなかったと思います。それでもやはり、残りの4か月を向こうで過ごしていたらな、と考えずにはいられません。気を抜くとうじうじ悩んでしまいますが、本当に素敵な7か月でした。
(オランダ派遣生)

帰国手配の舞台裏~派遣版~

プログラム担当スタッフへのインタビュー

―国際本部が全プログラム中止を決めてから、4月21日に最後のグループが帰国するまで約1か月。どんなことが大変でしたか。

どの国が、いつ、ロックダウンになるのか?時間との戦いの中で国際便も国内便もみるみる便数が減り、状況がめまぐるしく変わる中で、安全にアレンジを進めるのは本当に大変でした。
国際便の手配は派遣国である日本が行うのですが、その便に乗せるためにはホストファミリーに連絡をとり、現地のボランティアに移動をサポートしてもらわなければならないので、受入国AFSとの綿密な連携が必要です。飛行機の空きがあと数席しかないとわかったら、受入国スタッフを夜中にたたき起こして了解してもらったりと、時差のある中では本当に24時間体制でしたね。

そうして移動の手配ができ次第、また変更や乗り遅れがあったときには直ちに、サポート担当スタッフが昼夜問わず日本にいる保護者の方と連絡をとって、不安や焦りの気持ちを受け止め、寄り添ってくれました。国内でも役割を分けたうえで連携体制がとれたことは良かったと思います。

生徒たちにはできる限り早い便を手配しますと伝えて、ヨーロッパ派遣生は大半が1週間程度で帰国となりました。パラグアイ派遣生にいたっては「7時間後にホストファミリー宅を出てください」という連絡になってしまい、パッキングもお別れの時間も十分にとってあげられませんでした。可哀そうでしたが、それを逃すと本当にいつ帰れるかわからなかったので…。

―前半はとにかくスピード重視の対応だったと。後半になると異なる対応もでてきましたか。

3月後半以降は、現地で空港までたどり着けないというケースがでてきました。国際便がとれていないと、国内移動の許可がでないなど制約が厳しくなってきたのです。このとき、在外公館がすみやかに領事レターを発出してくださったおかげで、最短のスケジュールで調整できましたが、それでも、ようやく空港にたどり着いた後に欠航になり、何時間もかけて再びホストファミリーと自宅に戻ってもらったこともありました。

国際便と国内移動をセットで調整しなければならなくなったことで、アメリカについては、両方の便の手配を派遣国側で行う体制に変わりました。約100人分、ひとりひとりの最寄り空港を確認して、欠航と戦いながら、どの便がいつどこに飛ぶかをパズルのように調整するのは、これまでに体験したことのない対応ということもあり、本当に大変でしたね。

日本への入国拒否が拡大する中で、日本パスポートでない生徒が無事に入国できるかどうかというケースもでてきました。受入国をなんとか出国できても、入国が拒否されることがあったら一大事です。出入国在留管理庁に確認をとって対応するという連携もありました。

イタリア・ローマの空港の電光掲示板。キャンセルの文字が並びます

―国際便はストップしてしまうと、もう手立てがないですよね。

通常の国際便がストップしているところでも、各国政府がチャーター便を出しているケースがあり、欧州やアメリカの臨時便に載せていただくこともありました。臨時便はWEB上に情報が載らないことも多いので、現地の日本大使館から情報をいただいたり、受入国AFSのスタッフに空港にへばりついて情報をキャッチしてもらったりしました。

臨時便があることがわかっても、身ひとつで乗れるわけではなく、健康診断書などの書類を作成したり、専用バスに乗る手配をつけたりと準備が必要でしたが、大使館の方には、未成年ということで特に気にかけていただきました。“未成年の海外渡航は不安”というイメージがあるかもしれませんが、“未成年だからみんなが助けてくれる”という面もあるのだと感じました。

―各国チャーター便はもちろん、日本から遠い国はそもそも直行便がなかったりして、乗り継ぎも大変ですね。

それは今回、身に沁みました。3回乗り継ぐアレンジだと、欠航になるリスクが3倍ですからね。
その中でも、あちこちで関係者の方に助けていただきました。例えばパナマ派遣生はオランダ経由の臨時便で帰国したのですが、そのとき、かつて日本に留学していた元受入生が空港で迎えて、アムステルダムのホテルに2泊してくれました。出歩ける状況でもないので、一緒にホテルで缶詰めになってくれたのです、しかもご自身の有休を使って!

チリ派遣生も3回欠航したうえに、ロンドン経由で帰国しました。イギリスにはAFS組織はないのですが、在外公館にAFS関係者がいらしたので、何かあったらサポートしますと仰ってくださったのが心強かったです。

アルゼンチンからの帰国は、経由地のマイアミで、アメリカのボランティアがサポートしてくれました。ちょうど誕生日を迎える生徒が二人いることがわかり、急遽お祝いをしてくれたそうです。大変な状況の中でも、生徒が喜ぶことをしてあげたいと心から寄り添ってくれたことは嬉しかったですね。

メキシコ派遣生。国際便が欠航になってしまったので、帰国日までスタッフ宅にお世話になりました

―いろんなところで、多くの人が助けてくれたのですね。

本当に。AFSファミリーが世界中にいるので、目途が立ちにくい状況でも、チャンスがあれば出国させようと動くようになりました。途中まで行けば、どこかで助けてもらえることがわかったので。

フィリピン派遣生。臨時便をアシストしてくれたDOT(観光省)のスタッフ、AFSフィリピンのローカルボランティアと

AFS関係者の中には医療従事者や感染症がご専門の方もおり、最新の情報をくださったり、相談にのっていただいたりもして、安心して判断することができました。

何より、現地の感覚がよくわかっていて、現地に人脈がある現地のAFS組織の存在は、通常の留学生活中はもちろん、このような緊急時にもとても頼もしい存在でした。
ある国のスタッフは、臨時便サイトに欠航の表示がでていたにもかかわらず、航空会社との交渉の雰囲気などから“この便は飛ぶ”と確信をもって対応していました。実際、その便は無事に飛んだのですが、そのとき彼からのメールはこんな言葉で結ばれていました。
「It’s AFS magic」

フライト状況が確認できるアプリ。最後のグループの日本到着はスタッフ全員で見守りました

帰国手配の舞台裏~受入版~

全国の支部ボランティアより

10人いた受入生は、必ずしも日本生活への適応が順調な生徒ばかりではありませんでしたが、いざ緊急帰国となったら、全員が口を揃えて「帰りたくない!」と嘆いていました。まだ表にはでていないけれど、これからなんだ、自分は!という気持ちが強くあったのだと思います。

ホストファミリーの方からは「学校が休みになり、イベントも中止で、ラスト3週間は家族で過ごす時間が多く、一気に仲が深まりました。また必ず会おうと約束しましたし、次回以降の生徒でホストファミリーが見つからない場合は、是非チャレンジしたいです」とのお話をいただきました。

ホストスクールも全面的に協力していただき、校長先生からは「私たちの対応よりAFSさんの方が大変ですね。まして皆さんは他にお仕事を持ちながらボランティアでしていただいている、本当に頭が下がります」とねぎらいのお言葉をいただきました。そして春組生が秋組生徒なった場合、変わらず受け入れるつもりだと、明言してくださいました。
(長野南信支部)


見送りの際、「日本にいる方が安全な気がして…自分の国だけど、帰すのが心配です」と仰ってくださったファミリーがいました。短縮してしまった期間ですが、強い絆がちゃんとできているのを感じて、心が温かくなりました。受入生も、泣きながら「また、来るね!」と言って出発していきました。
(東京支部)