この記事は、2021年2月に実施された、アジア高校生架け橋プロジェクト「高校生記者交流プログラム」参加生徒が執筆しました。


今日における国際交流の意義

高校名: 札幌日本大学高等学校
高校生記者名: 福村明香(1年)
留学生名・出身国: Naing Shane Khant (愛称:シェーン) 出身国:ミャンマー連邦共和国

今日世界がCOVID-19 の脅威に晒される中、アジア架け橋プロジェクトは遂行されました。
科学的根拠のないものは疑わなければなりません。社会の発展のためには常識を疑うことが重要です。異文化交流はその意味で日本での常識を考え直すとても良い機会だと思います。私が架け橋さんに幾つか質問をした中で、異文化を強く感じた質問を紹介します。

 それは日本とミャンマー連邦共和国で何が大きく違っていると思いますか、という質問です。
架け橋さんの答えは「毎日生活が違います。例えば日本では誰かが失敗しても笑いませんよね、ミャンマー連邦共和国では失敗は笑うものです」というものでした。私は驚きました。なぜなら私はこの質問でミャンマー連邦共和国の人々との生活認識の違いを実感したからです。確かに人に笑われたくないから努力するのかもしれません。そうであれば失敗した人を笑うのも一理あるのかもしれません。もちろん日本のように笑うと相手が不快になるから、挑戦心をなくしてしまうからと笑わないのも理にかなっているでしょう。皆さんはどちらが良いと思いますか。

私は以前、各国の歴史教科書を読み比べをしていたことがあり、ミャンマー連邦共和国の教科書では日本を好ましく書かれていないということを知っていました。その教科書で学んだミャンマー連邦共和国の若者はあまり日本に好印象を持たないでしょう。しかし架け橋さんが日本に来たということは日本を嫌悪していないはずです。私は、前述のように考えたのですが私のあなたが日本を嫌っていないという考えは当たっていますか、また、ミャンマー連邦共和国の他の人にも当てはまりますか、と質問しました。
架け橋さんは「はい僕は日本を嫌っていません。第二次世界大戦のことですね。確かに日本に悪感情を持つ人がいないと言えば嘘になります。しかしいても年寄りでとても少ないと思います。」と言いました。

そこから私は第二次世界大戦が記憶から歴史になりつつあると実感しました。私は第二次世界大戦を体験していない世代に対して第二次世界大戦での悪感情を向けるのは不条理だと思います。ですのでまっさらな状態から関係を築いていくためにも記憶の歴史化は良い傾向だといえると思います。

しかし良いことばかりではなく、今日、日本では原爆及び戦争体験者が少なくなり、若者の戦争に対する認識の甘さが問題になっています。人や国家を恨まずに戦争を忌避するこころを持ち続けるために何をすべきか、私達は考えなければなりません。

COVID-19 により各国余裕がなくなり自国中心に考えがちな危険な状態になりかけています。「異文化と接することで社会は変わっていくのだ」という姿勢で異文化や他国民を尊重し、戦争を忌嫌う一人一人の心から平和は生まれます。私達は今こそ異文化交流をしなければならないのです。私達の未来のために。

高校生記者コメント:

取材を通して私は国家と個人の関係について考えました。架け橋さんはミャンマーの国内情勢的に今後の国際交流は難しいと言っていて、他国にいても国家と個人は互いに影響し合うと感じました。私は日本に少しでも良い影響を与えられるように日々精進しようと思いました。


この記事のカテゴリー: AFS活動レポート

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