1月8日、早朝、例年の如く酷寒かつ乾燥で肌や喉が痛くなるような空気に満ちた日本に、僕は帰国した。1年ぶりの故郷である。
ドラマにありそうな、空港で家族の姿を見て感極まる、なんてことはなかった。1年なんて大して長くない。メールやネット通話のおかげで、家族や友人と連絡はとれていた。日本のライフスタイルに再適応するのに、これといって苦労はしなかった。

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ページ上写真 AFSマレーシア会長と一緒に

でも、明らかに感じる。日本って風変わりな場所だ。

みんなが他人に対して無関心に見える。知り合いに会っても、「あ、どうも」と言うだけで、「じゃ、また」と言って終わる。久々に見て、アンフレンドリーな人種だ、と思った。世界中たくさんの国の人たちと交友関係にあったけれども、こんなことをしているのは、日本人くらいだろう。本当に。
大抵、会ったら笑顔で握手して場合によってキス、そして話が終わったらハグをして別れる。どちらが良いかはわからない。文化の違いだと言えばそれまでだが、このスタイルに慣れてしまったら、日本で「心から人と意思疎通している」なんて実感は沸かない。

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ペナンフリースクールの友人と

こんなことがあった。帰国翌日、日本の母校に登校したとき、新しい数学の先生が「あ、キミが矢吹君ね、よろしく。一年ブランクが…」って言いながら手を出してきたから、握手したら、先生は困惑し、そして教室内に笑いが起こった。どうやら、手をだしてきたのは俗にいう「会話中の身振り、手振り」で、握手を求めていたわけではないらしい。
自らがマレーシアの文化や習慣に飛び込めば、自分の感性がマレーシア人化するのに、1年もかからなかった。僕自身これをとても誇りに思う。マレーシアを心の底から楽しみ、何でも吸収し、体現し続けた結果だから。

深夜、マレーシアの首都にある空港まで、AFSマレーシア会長は直々に僕を見送りに来てくれた。帰国前の1ヵ月間、首都から片道5時間かかるところに住んでいる僕を、会長は何かイベントがある度に呼んでくれた。王族の結婚式、マレーシア観光省主催のクリスマスパーティーや新年のカウントダウン。僕が知らない世界をたくさん見せてくれた。彼に付いていく度に僕の目は開いていった。そして、何より一緒にいて楽しかった。
僕の父よりも年が上の会長は、彼自身のアメリカ高校留学やその後どうやって今の地位に至るか、こと細かく語ってくれた、そして、僕が今後の人生で気をつけること、この留学をどう人生に活かすかについて教えてくれた。

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ホストファミリーと一緒に

気がつけば、ついに、出国審査を通らなくてはいけない時間になった。もう日本に帰らなくてはならない。
そして、会長と最後に熱い抱擁を交わした。そのとき、彼は僕にこう言った。
「This would be last hug for you and you will miss this since Japanese never do this… You can come back to Malaysia soon and visit me. Ok? We all are gonna miss you. All the best in Japan」

とめどなく、涙が込みあがってくる。まだ涙が残っていること自体信じられなかった。 昨日、首都に向かうバスに乗るときも、バス停まで親友たちがきてくれて、最後に抱擁を交わしている間、感極まり、結局道中の半分はずっと泣いていた。

マレーシアに来てよかった。必ず戻ってこよう。そのとき、みんなに会って恥ずかしくない自分でいたい。だから、帰国してからも、また頑張ろう。
そう決意して、僕はマレーシアの地から飛び立った。

2013年1月 マレーシア派遣
AFS59期生/(公財)かめのり財団奨学生 矢吹祐真

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