ピースボートが実施する 「旅と平和」エッセイ大賞で、AFS帰国生が次点入賞しました。

第14回「旅と平和」エッセイ大賞 次点
野津波音さん

「手違い留学からイスラムに飛び込む」

「海外」に漠然とした憧れを持ち始めた二年前、まさかその後自分がムスリムとして生活することになるとは思ってもいなかった。

豊かな自然に富んだコスタリカで留学をしたい。その一心で高校一年生の春、期待に胸を膨らませながら、慣れないパソコンで留学のネット出願を済ませた。そこまではいいのだが、合格通知には選んだ覚えのないマレーシアという国が記入されていた。恐らく入力ミスで別の国を希望したことになったのだろう。こうして私の留学は、なんと留学先を間違える、という間抜けな形でスタートすることとなった。しかし、これが期せずして私の人生と世界観を変える重要な旅になった。

手違いでマレーシアへの留学が決まった後、まずはショックを受け凹んだ。次にやったことは、マレーシアという国について調べることだった。行きたくもない国へ留学することになったのは自業自得だが、親元を離れ国外で暮らす一年間を無意味に過ごしたくなかったし、これも何かの縁だと思いたかった。だから私は、マレーシア留学をする理由や目標がほしいと思い、初めにマレーシアについての知識を得ることにした。行き先が決まってから旅の理由を探す、場当たり的な自分に呆れ何度も自分を恥じた。こんな計画性のない人間が、本当に一年間留学などできるのだろうかと不安になることもあった。

実際に調べてみると、マレーシアは非常に面白い国だった。マレー系、中国系、インド系の人々から成る多民族国家。その中でお互いの違いを尊重し合って共生する人々と、文化の多様性。詳しく調べるにつれて、やっぱり縁だったんだと思えるほど、マレーシアに魅力を感じ始めていた。特に国教であるイスラム教は、宗教とは無縁の人生を送っていた私にとっては未知の、それでいて大いに興味を湧かせる存在だった。そして幸運なことに、私のホストファミリーはムスリムの家庭に決まった。

「マレーシアの国教はイスラム教」
「ホストファミリーはムスリム」

出発前、このようなことを話すと、友人のうち数人からは「え、大丈夫?」といったような言葉や、不審そうな、あるいは何とコメントすればよいのかわからない、という風の複雑な表情が返ってきた。わけを聞いてみてその意味がわかった。彼女たちにとって、イスラムときいて思い浮かぶのは、「イスラム国」のことだったのだ。しかし私も出発するまでは、イスラムと言われて一番に頭に浮かぶのは、目元以外を黒い布で覆い、武骨な武器を抱える過激派組織だった。無意識のうちに私の中でもイスラム=ISというイメージが根付いていたのである。

日本では、「イスラム教」に対してイメージのみが先行していることが多い。しかも、そのイメージはIS(イスラム国)やテロなど、良くないものばかりだ。なぜ悪い印象ばかりが流布しているのだろう。私の考えでは、それは恐らく私たちがイスラムについてほんの少ししか知らず、一つの側面からイスラムを見て認識しているからだ。ほかでもない私も、イスラム教とムスリムについてネットで得られる情報以外何も知らなかった。私はこの「イメージの先行」を変える必要があると感じた。イメージや思い込みというものは、良くも悪くもかなり大きい影響力を持つ。過去のユダヤ人への迫害や関東大震災と同時期に日本で起こった虐殺、大昔の魔女狩りに至るまで、数多くの惨劇や抗争の原因となってきた。このままイスラムに対する悪印象が広まれば、更なる争いの原因になりうるのではないかと考えるようになっていった。

この時点でようやく、私は自分が留学をする理由を見つけられた。インターネットでは知ることのできない、現地の「リアルなイスラム」を見て、世界中でイスラムと言われているものが、どれだけの多様性を持っているのかを学ぶ。そしてそれを日本に帰って伝え、イスラムへの一方的な印象を変えたい。それが平和の実現につながることだと思った。

いざマレーシアでの留学が始まると、私の周りは予想以上にイスラム一色に染まった。私の場合は学区の関係もあって、学校の友達はみんなマレー系国民(普通は三民族混合)で、ムスリムに囲まれた生活を送ることになった。モスクでの礼拝や食事の作法、一か月間の辛い断食、その後のハリラヤ(お祭り)など、本当に自分がムスリムになったようだった。そんな日々の中で、着実に目標達成に近づく瞬間を度々感じた。現地での「リアルなムスリム」生活は、決してネットからは得ることのできない驚きと発見に満ちていた。

例えばヒジャブ。一般的にはムスリムの女性は、家の外に出るときは、ヒジャブという布で髪の毛を覆い隠す慣習がある。しかし、実際にマレーシアの街にいる女性を見てみると、ヒジャブで髪を隠していない人が二割ほどいる。現地でできた友だちの一人も、外出するときは髪を隠さないという。なぜムスリムなのにヒジャブを使わないのか、その友だちに聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

「確かにコーランには、外出時は髪を見せないように、という教えがある。しかし、髪を隠すかどうかは個人の自由。私たちは自分の意思で、どうするかを選択できる。」

これはほんの一例で、国際的な職に就いている人の中には、お酒を飲む、豚肉を食べる、豚と同じような存在である犬をペットとして飼うなど、コーランの教えはあくまでも個人の自由、という意見が国際化の進む現代マレーシアでは普通に受け入れられていた。そして彼らの姿を間近で見続け、そのような自由度の高い人々の生活と、信仰の敬虔さは全く無関係だということがわかった。彼らは決してコーランの教えをないがしろにしているわけではない。むしろ彼らの神への信仰心を、そのような行動で測ることはできないのだ。

そんなムスリムのリアルな姿は、恐らく私たち日本人にはほとんど知られていないだろう。だからこそ、日本ではイスラム教への良くないイメージ先行が根強いのだと思う。日本だけでなく、外国でも一部の人間がイスラム教への悪い印象からムスリムやモスクに危害を加える、というニュースを耳にする日は少なくない。マレーシアでの一年間で私が学んだことや物の見方こそ、そんな世の中に必要な考え方だろう。

誤解すべきでないことは、私が留学を通して学んだムスリムの姿も、マレーシア独自のものであり、他の地域や国に住むムスリムの文化は、当然マレーシアのものとは違う、ということだ。いくらマレーシアでイスラム教について詳しくなったといえども、それはあくまでマレーシアでのイスラム教なのであって、例えばトルコのイスラム教とその文化はまた別物。私はトルコのムスリムについて何も知らない。

つまり、私が留学を通してムスリムについて少し詳しくなったからといって、全世界のムスリムを理解したということにはならない。しかし「世界には様々な人がいて、イスラム教も同じ一つのものではない。私が一年過ごしたマレーシアには、お酒を飲むイスラム教徒もいるけれど、彼らは彼らなりの信仰心を持っている。」ということを、イスラム教について誤解をしている人々に伝えることはできる。そしてそれは、日本でのイスラム教へのイメージ先行をなくしたい、という私の旅の目標につながる行動だと考える。私の経験談を聞くことで、少なからずイスラム教への印象が変わり、新たな知識、違った世界観を得ることができると思うからだ。

日本に帰国してまだ半年も経っていないが、何度もマレーシアでの一年間を思い出す。そんな中、マレーシア以外に住むムスリムの生活や文化、考え方や信仰の在り方を知りたい、と思う気持ちが強まってきている。

なぜなら私の旅の目標は、まだ達成されていないからだ。留学を経験することでイスラム教について知ることができたほんの少しの情報で、大勢の人間のイスラムへの偏見が変わることは、残念ながら現状難しい。折角得た知識を、実際に伝え広めていくような場や人脈も、今の私は十分に持ち合わせていない。

帰国する数日前、マレーシアでできた友人からこんな話をきいた。

「留学は帰国した日に終わるわけではない。母国に帰って、しばらく経って、ある日突然、ああ、自分はこのために留学したんだとわかる日が来る。それがいつなのかは誰にもわからないけれど、それがわかった時があなたの留学が終わる日だ。」

この話の通りならば、私の旅はまだ終わっていない。もっと多くの国のイスラムをこの目で見て、肌で感じる。そして旅を経て学んだことを、旅を経て広がった自分のコミュニティでより大勢の人たちと共有し広めていく。そのようなことを続けていけば、いつか旅の終わる日が来るだろう。こんな考えを持つようになった影響で、私は大学では外国語を専門に学んで、これからも続く旅に役立てようと思っている。

クリックミスから始まったマレーシア留学。スタート地点でつまずいたが、今ではあの時間違えてよかったと心から思える。そう思えるだけの発見と出会い、学びがあった。希望通りコスタリカに留学していたら、一生関わることのなかったイスラム教の存在と、それに対する印象の食い違いが生む問題への思案は、確かに私を成長させた。私の旅はまだ終わっていない。大学生になったら、また旅を再開させるつもりだ。更なる旅とイスラムへの理解が、より確かな平和につながることを信じている。

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