AFS友の会ネットワーキングの集い

「ベトナム戦争終結から50年~枯葉剤の傷跡を見つめ続けた私の20年」

講師:坂田雅子さん(ドキュメンタリー映画監督)

 

坂田雅子さんは1965年~1966年、米国メイン州の高校に留学したAFS生。この経験をきっかけに人生の進路が大きく定まり、更にいくつかの転機が枯葉剤問題のドキュメンタリー映画制作へとつながります。20年以上にわたる歳月を振り返り、次のように語ってくださいました。


最も大きな転機となったのは、33年間連れ添った夫グレッグ・デイビスを突然亡くしたことであった。グレッグはベトナム戦争に従軍した元アメリカ兵で、その後はフォトジャーナリストとしてアジア各地を取材していた。病気で急逝した後、夫の友人である写真家から「死因はベトナム戦争で浴びた枯葉剤の影響ではないか」と告げられた。当初は半信半疑だったが、夫が以前「枯葉剤を浴びたため子どもは持てない」と話していたことを思い出し、枯葉剤とは何なのかを自ら調べ始めたことが、その後の人生を大きく変えることになった。

夫クレッグと坂田雅子さん

当時はインターネットも十分普及しておらず、資料を集めるだけでも苦労した。しかし調査を進めるうちに、学生時代から抱いていた「ドキュメンタリー映画を作りたい」という夢がよみがえった。55歳で映像制作を学び始め、ビデオカメラにも触れたことがない状態から映画制作を一から学び、デジタル映像技術の普及という時代の流れにも後押しされながら、自らカメラを持ってベトナムへ向かった。

初めての本格的な取材では、枯葉剤による深刻な被害の現実に衝撃を受けた。障害を抱える子どもたちや苦しむ家族を目の当たりにし、悲惨な状況に圧倒される一方で、その中でも互いを思いやり、支え合う家族の姿に深く心を動かされた。夫を失った悲しみに沈んでいた心も、こうした人々との出会いによって少しずつ癒やされ、「悲しいのは自分だけではない」と気づかされたという。

取材を通じて、ホーチミン市の産婦人科病院「ツーズー病院」の平和村や、長年枯葉剤研究と被害者支援に尽力してきたグエン・ティ・ゴック・フォン医師とも出会った。障害を持ちながらも教育を受け、自立して家庭を築く若者たちの姿を見て、適切な支援があれば未来は大きく変わることを実感した。こうした経験は、被害だけでなく「希望」を伝える作品づくりへとつながっていった。

グエン・ティ・ゴック・フォン医師

完成した第一作『花はどこへ行った』は国内外で評価を受け、多くの人に枯葉剤問題を知ってもらうきっかけとなった。しかし、それだけでは十分ではないと感じた。さらに取材を続ける中で、アメリカの元兵士の子どもたちにも障害が生じていることを知り、ベトナムだけでなくアメリカでも被害が広がっている現実に向き合うことになる。被害は国境や世代を越えて続いていることを痛感し、新たな作品制作へと歩みを進めた。

より深く現実を知るため、坂田さんは1年間ベトナムに滞在し、ベトナム語を学びながら各地を訪問した。その中で、重度障害だけでなく、少しの支援があれば教育を受け自立できる子どもたちが数多く存在することを知る。そして映画上映会や講演会で寄付を募り、「希望の種奨学金」を立ち上げた。これまで約2,000万円が集まり、およそ200人の子どもたちへの教育支援につながっている。映画を「伝える」だけでなく、実際の支援へと結び付けたことが、この活動の大きな成果となった。そしてドキュメンタリー映画第2作『沈黙の春を生きて』を発表。

その後も取材を続ける中で、枯葉剤を製造した化学企業を相手取る訴訟や、被害者たちの長い闘いを追い続けた。裁判は困難を極めたが、多くの被害者は「自分だけでなく、声を上げられない人々のために証言する」という思いで活動を続けていた。その姿勢こそが歴史を語り継ぐ大切な力であると感じ、映画第3作『失われた時の中で』を発表。

また、ベトナム戦争終結50周年を機に、元ベトナム兵と元アメリカ兵の双方への取材も行った。そこから見えてきたのは、ベトナム側の強い愛国心と団結、そして戦争の目的を見失って苦悩したアメリカ兵たちの姿であった。印象的だったのは、元米兵が「なぜもっと怒らないのですか」と尋ねた際、ベトナム側の元将軍が「怒りを体の中にためておくのは健康によくないからです」と穏やかに答えたことである。この言葉に、憎しみを超えて未来へ進もうとするベトナムの人々の強さを感じたという。

20年以上の取材を振り返り、「夫が本当に枯葉剤の影響で亡くなったかどうかは分からない」と率直に語る。しかし、この出来事をきっかけに社会や歴史への関心を持ち、「私たちは皆、社会や歴史とつながっており、人と人ともつながっている」ということを深く実感するようになった。それこそが、自分が前向きに生きる力になったと振り返る。

講演の最後に坂田さんは「エンパシー(Empathy)」という言葉について語った。日本語では「共感」と訳されるが、それ以上に「相手の心の中へ入っていくこと」「相手の立場に立って感じようとすること」だと考えているという。そして、第一作『花はどこへ行った』の最後のナレーションを紹介した。

「すべてはつながっている。私たちは皆、何か大きなものの一部である。人間にとって本当に大切なのは、お互いの存在を認め合うこと。そのとき大きな力が生まれ、希望の種が芽吹く。」

当時は「エンパシー」という言葉を知らなかったが、今振り返れば、自分が伝えたかったことはまさにエンパシーだったと語る。20年以上にわたる枯葉剤問題との出会いと取材を通じて学んだ最大の教訓は、相手の苦しみに寄り添い、人と人とのつながりを大切にすることの尊さであり、その思いを次の世代へ伝えていくことの重要性であると締めくくった。


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