私のインドネシアでの生活も、もう半分が過ぎてしまいました。あっという間のことのようだけど、その半分には確かに多すぎる程の思い出があります。1日も欠かさずにつけてきた日記帳には、つい昨日のことのように思い出せる事があったり、逆にこんなことを考えていたなんて、と驚くような事も書いてあります。
日記帳を見返す度、私のインドネシアでの日々の充実ぶりを実感し、胸がいっぱいになります。去年、日本を発った時には考えられなかった事に驚くばかりです。

去年の夏、8月19日が私のインドネシア生活の始まりでした。7時間にもおよぶフライトの後、首都のJakarta(ジャカルタ)の空港に降りた私を出迎えたのは、独特の匂いのする風でした。日本には無いであろうその匂いに“外国に来たんだ”という事を強く意識したのを覚えています。
その後のオリエンでは英語が分からずものすごく苦労もしましたが、あのオリエンのお陰で私は1年間インドネシアで暮らす覚悟ができました。最初のうちの苦労は当然、少しの辛抱が良い結果につながる鍵だと学んだ5日間でした。

そして今、私はJogjakarta(ジョグジャカルタ)という街で暮らしています。そんなに大きい都市というわけでもないけれど田舎でもない。その加減が丁度良く、とても住みやすい街ですが、オートバイが非常に多いです。中学生(本当は駄目なんだけど…)からおじいさんおばあさんまで自転車程度の気軽さで乗り回しています。交差点で停まると、前の方はオートバイでいっぱいになります。日本にいた頃はオートバイというと危ないイメージだったのに、今では私もそのうち免許を取るから!と思う程馴染んでしまいました。
そして忘れてはいけないのが食べ物。美味しいものがいっぱいで、食事に困った事は一度もありません。インドネシアというと辛い食べ物ばかりな感じがしますが、意外とそうでもありません。辛さの調節はだいたい個々で行うので、何も加えなければ辛くはならないし(もちろん、始めから激辛~な食べ物もありますが)、Jogjakartaには甘いたれの食べ物も多いです。
そして何故か飲み物は甘いものが多いです。イスラム教徒の多い国なので、お酒は勿論あまり見かけないのですが、“お茶”が必ずといっていい程甘いのです。家であれお店であれ、基本的に初めから砂糖が入った状態で出てくるので、底の方の砂糖をかき混ぜつつ飲みます。今ではほぼ無意識にかき混ぜつつ飲んでいる私にもびっくりしましたが…。

そうして、そういう事が日常になってきた頃には私のインドネシア語もかなり上達していたと思います。発音が悪いので友達にはよくからかわれて真似をされるのですが、通じることが嬉しくて、使わずにはいられません。お陰で、かなり早くからインドネシア語だけで生活することが出来るようになったと思います。こっちの人は皆英語もかなり上手なのですが、私がインドネシア語を(例え少しでも)話せると分かると一気に親しくなれるようになりました。
私の顔はもともとよくこっちの人に似ていると言われていたのですが、言葉を理解するようになり更に日焼けして黒くなった最近の私は、もう完全にインドネシア人に見られてしまうようになりました。普通に道を尋ねられたこともあれば、いきなり地方語であるJawa(ジャワ)語で話しかけられて戸惑ったこともあります。でも、そんな風にインドネシアでの生活にもかなり溶け込めるようになってきたことがとても嬉しいです。これから残された数ヵ月はインドネシア人の一人として生きるつもりでいます。なので日本に外国人として帰る日をさびしくも楽しみにしつつ…。

2012年3月 インドネシアより
AFS58期生/(公財)かめのり財団奨学生 西野真奈

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