私は高校2年生の時、スウェーデンの首都、ストックホルム市に11か月間ステイしました。
中学生くらいの時から留学に興味はあって、でもそれはなんとなくのぼんやりした”いつかの夢”だったのでした。しかし、入学した高校が毎年10数名海外留学に行くような学校で、「え、もしかして夢かなえられちゃう?」と軽く思いついて、勢いで応募をしてしまいました(笑)
第一志望のスウェーデンは、北欧へのほのかな憧れと、福祉国家をこの身で体験したいと思ったからでした。
こんな始まり方でしたが、ルーティンの生活から抜け出して、高校生の1年間を海外という(当時の)私にとっての遠い遠い未知の世界で違う価値観に触れる経験に使い、自分を見つめなおせたのは私の人生において本当に有意義で貴重なことでした。

5人家族のお宅に1年間ステイしました。ホストパパ・ママ・2人のお姉ちゃん(一番上のシスターは大学の関係で遠くに住んでいた)と弟。私はその家の3人目の留学生でした。年の近いブラザーと本当に仲が良かったです。
実は彼らは最初ウェルカムファミリー(数ヶ月間だけのステイ先)だったのですが、1週間ほどで「ずっといていいよ」と1年間ステイできることに!飛び上がるくらいに嬉しかったです。
ウェルカムファミリーは、本当に家庭の事情があって数ヶ月しか受け入れられない場合と、様子見で数ヶ月という場合があるので、私のようなケースはよくありました。だからもしウェルカムファミリーがステイ先に選ばれたとしても、一年間のステイ先との間に何の優劣なんてありませんし、むしろ人間関係の幅が広がったりすることもありえます。どんな環境も状況もプラスに考えて精一杯楽しんで生きていればいいのです。

おうちはアパートで、初日にカギをもらって一年間お借りしました。すっごく広くて、キッチン、リビング、パパママの寝室、二番目のお姉ちゃんの部屋、弟の部屋、私の部屋、トイレ2つ(一つはシャワールームにあったもの)、物置、そしてゲストルームとバルコニー。地下には住人が使える物置も別にありました。
私の住んでいたストックホルムは都会(正確には中心街からトラムで20分くらいのところ)だったため、土地などがお高いそうで、多くのストックホルム市民はアパートで暮らすそうです。私はすごく素敵なお部屋(離れて暮らす一番上のお姉ちゃんのお部屋)とベッドとタンスと学習机をもらって、そこで学校のことをしたり寝たりしていました。寝るときはおやすみのハグがたまにありました。

リビングにはテレビがあって、よくご飯の後にニュースやドラマを家族で一緒に見てまったりしていました。特にお姉ちゃんは大の映画好きで、よくNetflix他いろいろなアプリ・サイトを駆使したmovie nightsがありました。スウェーデンの人たちは映画やドラマが大好きで、特にNetflixの普及は尋常じゃないです。私は留学中の一年間でかなり映画に詳しくなりました。
そして夜のテレビタイムに必要不可欠なもの、それは紅茶!!!スウェーデン人はめちゃめちゃコーヒーが好きですが、紅茶もよく飲みます。うちの戸棚にはざっと10を超える種類の紅茶が常備されていて、スーパーにも本当にいろいろなフレーバーが所狭しと並んでいます。
私は、スウェーデン人にとってもなじみ深い、リンゴンベリーの紅茶がお気に入りでした。穏やかで、のんびりした時を過ごすのにホットティーは欠かせませんでした。

バルコニーも家族の憩いの場でした。私のステイした年は、夏が信じられないほど暖かかった(それでも23度とかでしたが)そうで、ホストママが、「あなたはラッキーよ。こんなに気持ちのいい夏、記憶のうちに1,2回しかないわ」と言っていました。そのため、休日はよく家族そろってバルコニーで朝ご飯を食べて、それは何とも言えず気持ちのいい1日の始まりでした。
スウェーデン人は日々を豊かに生きる天才なのです。

ホストパパとママは共働きで、毎日大体17:00~18:30頃に仕事から帰って来ていました。ホストママが一番よくご飯をつくっていましたが、1週間に1回ほどはパパが作っていました。
うちの家は、食事を作った人が一番偉くて、その他の人でその日の洗い物をするというシステムでした。でも大きい食洗機があったので、大体のものはそれでやっていました。
洗濯は基本的に2日に一度くらいだけど、ほかの留学生は3日に一回と言っている子もいました。スウェーデンは夏でも涼しいし乾燥しているので問題なかったですけど。だから部屋干しでも一日たてばからっからに乾いてくれていました。
自分の部屋もよく掃除していましたし、ついでにリビングや廊下、玄関をやったり。でも半年たったころ、「前ほど毎週毎週は掃除しなくなくなったね(笑)」とホストママとお姉ちゃんに言われてしまって…。お姉ちゃんには言われたくなかったけど(笑)

家事を強要されることはありませんでしたが、「みんなでやる」というスタンスだったのではじめは見よう見まねでやっていました。自分がとっても良くしてもらっていたので、そのありがとうの気持ちを伝えたい、と自然に思えたので家事はほんとに進んでやっていました。
スウェーデンの家族と生活する中で、家族は一緒に生活しているのだから、協力して支えあうのは当たり前のことだ、と気が付きました。家事は「お手伝い」としてするのではなく、家族の一員として当たり前に行うことだと。そして、「お手伝い」すらあまりしていなかった日本での日々を思い出して、特に母に対してとても申し訳なく思い、それは帰国してからの生活に生かされています。

ホストファミリーとの一番の思い出はクリスマスブレイクのスキー旅行です。私はクリスマスの日をホストファミリーとイタリアで過ごしました。一番上のお姉ちゃんと同棲中のそのガールフレンドも一緒でした。ふわっふわさくっさくの雪でスキーをして、すごく素敵なログハウスで過ごした一週間はものすごく素敵で楽しかったです。
ファミリーは「スウェーデンのクリスマスを体験させてあげられなくて残念だわ」と言ってくれましたが、スウェーデンではクリスマスは何も24日25日だけのイベンドではありません。やはりものすごく大切なイベントで、12月中がいろいろな伝統で埋め尽くされるんです!毎日がワクワクの連続でした!
まず、…と思いましたが、やっぱりこれはネタばらしになって未来のスウェーデン派遣生のワクワク感を奪ってしまうかもしれないので、もしもそういうのを楽しみにしたいような人は、ここはとばしてくださいね(笑)

ブレイクは日本の冬休みと同じ2週間ほどで、日本とちょうど同じ時期に始まりますが、クリスマスのお祝いはその前から始まります。まず12月1日か2日から、「アドベントテレビショー」が始まります。皆さんはクリスマスの日まで毎日紙をめくって食べるチョコレートを知っていますか?あれを「アドベントカレンダー」というように、そのテレビショーは、12月の初めからクリスマスまで毎朝15分間のクリスマスっぽいテレビシリーズが放送されるのです!いわばクリスマス限定の朝ドラといったところでしょうか(笑)毎年違ったものが放送されていて、それを毎朝家族で見て、クリスマスまでの日々を楽しむのです。私はその初日にすごく素敵なアドベントキャンドルをホストママからもらって、買ったアドベントカレンダーのチョコレートを食べながら部屋でちょっとずつ炊いていました。

クリスマスの伝統的な食べ物もたくさん作りました。ジンジャークッキーがその一つで、スウェーデンのジンジャークッキーは薄くてブタの形をしたのが有名です。それにサフランバン(サフランの練りこまれた生地とレーズンの入ったパン)とglögg(グレッグ)という飲み物もスウェーデンならではのもので、私の大好物でした。これらをつくって、クリスマスまでに少しずつ食べていくのですが、私たちはイタリアにもっていきました。
クリスマス当日はアドベントテレビショーが完結し、午後3時からクリスマスのテレビを見ます。これは毎年ずーっと変わらないものだそうで、ホストママ・パパが子供の時から同じものを見ているそうです。私たちはイタリアでそれを見て、プレゼントを交換しました。
私の家は、姉弟がもう大きいのもあって、12月の初めに家族の名前を書いた紙を引いて、引いたカードの人のためにこっそりプレゼントを用意します。そしてそれを当日机の上に並べて、みんなの前であけて誰からのものかを当てるのです。ほかの留学生から聞くと私のうちのようなプレゼント交換をしているところはありませんでしたが、すごく楽しかったです。ちなみに私は2番目のお姉ちゃんから部屋につけるかわいいランプとノートブックをもらいました!忘れられない最高のクリスマスになりました。

続いては、高校生活についてお話します。スウェーデンの高校は、日本の大学みたいな時間割で、選択制かつ空きコマがあるので、次の授業まで一番長くて3.5hの空き時間がありました。その時間でランチを食べたり(無償給食あり)、「勉強は学校でやるもの」という発想の基で課題をやったりしましたが、その時に友達と一緒におしゃべりするのが毎日の楽しみでした。
学校が終わる時間も日によってバラバラだったので、17:00に終わることもあれば、14:30で終わる時もあったので、学校帰りに友達とアイスを食べたり、散歩やピクニックをしたり、そしてスウェーデンといえば!の、Fika(フィーカ)も!Fikaはスウェーデン語でコーヒーブレイクのことを指します。午後のお茶、おやつの感覚で、コーヒーと菓子パンなどを食べるのですが、スウェーデン人はFikaがだーい好き!午後にはカフェにたくさんの人が集まってお茶とおしゃべりを楽しむのです。私の大好きなスウェーデン文化の一つです。

あとよく美術館にも行きました。スウェーデンでは、多くの美術館や博物館などの公的芸術施設は18歳まで無料で入場ができたのです。だから気兼ねなく周りを誘うことができました。
ついでに、バスや地下鉄は、全て国や市といった公機関が運営するもので、距離ではなく時間でいくらというシステムでした(18歳以下は75分で350円ほど)。公共交通機関のカード(うちらの感覚だと定期券に近いかも)は、半年ほどで1万円ちょっとで、いつでもどこでも行けます(一部例外あり)。私は物価の高いスウェーデンのことだから…と思っていたので、安ッ!と驚いたのですが、物価高の原因である高率の税金は、こういう暮らしやすい社会のために使われているのかなぁとそんな身近なところで気が付きました。
ちなみに現地の生徒は学校から電車・バスカードが支給されていました(時間縛りあり)。

私は同学年に2人特に仲良しの子がいて、その2人とは格別よく遊んでいました。あるとき、彼女たちが桜の話をしていて、なんとストックホルムの中心街からすぐの大きな公園に、実は日本から贈られたという桜がたくさん並んでいるのだと!それも見に行きました。
あちらは冬がなかなか終わらないので、桜は5月ごろに開花するんですよ!そこでの出来事は彼女たちにとってもすごく印象的だったそうで、私が帰国する時に2人が中心になって作ってくれたお別れの色紙にも桜の話が書いてありました。

もう1人、私はスウェーデンで大の親友ができました。彼女は私の2歳年上で、日本が大好きなスウェーデン人です。お父さんお母さんはイラン出身なので正確にいうと、生粋のイラン人と思うかもしれませんが、スウェーデンの感覚で言うと、彼女はスウェーデンで生まれ育って、スウェーデンにルーツがある、スウェーデン人なのです。この感覚はなかなか日本人にはないものですが、移民がたくさん住んでいて、それが今やかなり当たり前になっているスウェーデンでは、姿形がいわゆる北欧風でなくてもスウェーデン人ということがあります。私はこの感覚がとても素敵だと思いました。
いづれにしても彼女とは本当に仲が良く、毎週のようにカフェでFikaしながら話し込んだり、お互いの家に泊まりに行ったり、彼女の卒業パーティに呼んでもらったり、たくさんの時間を過ごしました。

私は本当に人に恵まれて、その筆頭がホストファミリーでした。今でも大好きな大好きな人たちで、ちょくちょく連絡を取り合っています。この間のクリスマスには彼らに日本からささやかなプレゼントを送ったのですが、スウェーデンからもクリスマスプレゼントが届いて、懐かしいおいしいものがどっさりやってきました!友達にも、電話は時差が厄介で、お互いの生活もあるためなかなかできませんが、私のことを忘れないようにしてもらうためできるときに連絡をしています(笑)一生ものの出会いに恵まれて、本当に幸せでした。

留学というのは確かに大きな決断です。しかし、挑戦する価値は大いにあることだと私は信じています。高校生という、多感かつ大人ほどこの社会に染まり切っても、でも何もわからない、考えていない子供でもない時期に、自分のあたりまえが崩れる衝撃を、周りに助けてもらうありがたみを、そして何でもないような毎日がいかにかけがえのないものなのかを経験することは間違いなく人生の糧になります。いろいろなことが起こるので、泣くことも笑うこともギュッと凝縮された濃い1年間が過ごせるでしょう。

やらなきゃいけないことに追われて、時間に追われて、自分はどんな人間なのか、何をしたいのか、忘れていませんか。そもそも、それについて考えたことはありますか。日々のルーティンをただ淡々とこなすことだけに自分の人生の時間を使っていませんか。
この日本という世界一忙しい社会に生きる私たち日本人にとって、それはいたしかたないことかもしれませんが、たとえば私は、留学を終えて帰国して初めて「日本ってすごく忙しいな」と気が付きました。日本の“常識”に疑問を持った瞬間でした。スウェーデンでの経験は、これからも私の一番深いところでこんなふうに私を支えてくれるものになるでしょう。

高校生留学ではそんな風に思えるような経験がきっとできます。自分を変えるのはいつも、少しの勇気と決断です。私のこの文章がほんの少しでもみなさんに留学とスウェーデンについて興味を持ってもらえる、みなさんの背中を後押しできるものになったらこの上なく嬉しく思います。

AFS64期 スウェーデン派遣生 / 坪井 優奈

▼高校生・10代の年間留学プログラム
スウェーデン年間留学情報 スウェーデン国別情報


この記事のカテゴリー: スウェーデン | 年間留学体験談