射殺事件とその後の活動

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1992年10月18日(日本時間)、米国ルイジアナ州バトンルージュ市へ留学した服部剛丈(はっとりよしひろ AFS39期生)さんは、ハロウィンパーテイの会場を間違え、家主に射殺されました。
その後、剛丈さんのご両親は「米国の家庭から銃の撤去を求める」請願書を皮切りに今日まで銃規制法の制定に尽力。
1993年にはYOSHI基金を設立し「銃が生活の中にない日本を体験してほしい」と米国から日本へ年間留学生(YOSHI基金奨学生)を招いています。AFS日本協会とご両親が所属するAFS東海支部はその活動を全面的に支援。
設立以来、YOSHI基金生は服部剛丈さんの母校 旭丘高校を訪問。2007年からは生徒会主催で「安全で平和な社会をつくるには」をテーマに毎年討論会が開かれています。

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2017年度YOSHI基金生Ms.Marnie Shickの紹介

米国NJ出身16歳女子。大阪三島支部所属。カルフォルニア州の小学校で日本語を勉強したのが日本に興味を持つきっかけに。
旭丘高校交流会での堂々たるスピーチは、参加者一同を驚かせました。また荒井由美の「ひこうき雲」「空にあこがれて空をかけていくあの子の命はひこうき雲」と歌って胸をキュンとさせました。
服部宅に3泊4日、名古屋城や市美術館のシャガール展などを楽しみ、みそカツや、あんかけスパに舌鼓をうちました。

スピーチするマーニー。「法律を変えても考え方を変えないと意味がない。」

射殺事件より25年、旭丘高校生徒会主催による交流会 12月20日

AFS東海支部顧問大山守雄が冒頭で挨拶。事件から25年に及ぶAFSの支援について述べました。
Marnieはスピーチで米国の銃社会を変える三つの提案をしました。
①銃を減らすこと、②ブレデイ法の完全実施、③警察力の強化です。

そして「どんなに法律を変えても考え方を変えないと意味がありません。だから教育は一番大事なものです。」と訴えました。
旭丘高校生からは、銃の展示即売会や個人販売に対しての対応や、豪州の銃器を減らす法律は効果があったかなど質問がありました。

AFSから東海支部のワン(中国)、サライ(メキシコ)や、北支部のニック(タイ)、シャンタル(カナダ)もゲストとして加わり、豪州の銃規制が成功したことや、中国の規制は空気銃も禁止で日本より厳しいことなどが話し合われました。

後半、二つのグループに分かれ、3Dプリンタによる銃の製造が問題、(解決法として)銃の値段を上げる、税をかける、免許制に、銃の問題の解決は教育にあるなど広範囲に話し合われました。
2007年度から、ほぼ毎年交流会は続いています。ここから世界を平和に導く人材が出現するのを願っています。

右端は、旭丘生に中国の銃規制を説明するワン。上段左端はカナダのシャンタル。NHK取材班や共同通信、朝日新聞記者も。
記念樹(桜とモクレン)の前で。前列左端中国のワン、3人目からメキシコのサライ、カナダのシャンタル、マーニー、服部夫妻、タイのニック。後列右端大山顧問、平田名市大准教授、鈴木支部長、山田・水野各支部員。後列左から3人目生徒会長金澤君、5人目は副会長島村くん。中段左から3人目は副会長中野くん。

Gary Schaefer在名古屋米国領事館首席領事と面会 12月19日

Marnie、鈴木AFS東海支部長、服部政一・美恵子の4名で面会。
Schaefer氏はJETプログラムで来日後、ALTとして岐阜県で教鞭をとった経験が今の自分に深く関わっていると、留学体験の重要性を話されました。
気さくで、日本通名古屋通で30分あまりの時間をとても楽しく過ごしました。

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