私が留学生としてベルギーで過ごした11ヶ月も終わり日本に帰ってきた。日本の我が家は、生まれてから何十年も生きてきた場所なのに、机やドアなど何もかもが大きかったベルギーと比べ小さく、まるでドールハウスのような変な感じがした。

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さてまずは、ベルギーに留学した理由について書こうと思う。
あなたは、ベルギーと言われて何が思い浮かぶだろうか。チョコレート、ワッフル、EUの本部がある国…こんなものだろう。実際、私もそうだった。調べてみると、フライドポテトと少し知られているキャラクター、タンタンとスマーフの発祥地であり、公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語の3言語!ということが追加されて分かった。
私は、え!!あんなに小さい国なのに3カ国後も話すのか?!と驚いた。しかし分かったことはその程度。
私はこの謎に包まれたヨーロッパの小さな国に何故1年間留学しようと思ったのか。なんで高校3年生の夏という大事な時期に留学しようと思ったのか。しかも大好きな友達と一緒に卒業出来ないのになぜ?未だにはっきりとした理由は分からない。ただその謎の国に対する好奇心が私を突き動かしたのだ。
あえて理由を作るのなら、大学に行く前に留学して視野を広げた方が大学で深い学びが出来る。大学で留学すればいいと言う大人もいたが、大学留学で調べてもベルギーに行ける所はまず無い。あったとしても少ない。なら10代というまだ自分を形成しているこの時期に行くことが意味のあることだと思った。
友達に関しては一緒に卒業できなくたってこの素晴らしい関係は変わらない自信があった。と、いうわけで私はベルギーに留学することにした。

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私が派遣されたのは、アントワープの北、オランダとの国境線 de Wildert in Essen というまたまた小さな田舎町だ。
ベルギーの中心に位置する場所にブリュッセルという首都がある。簡単に言うとブリュッセルよりも北の地域がオランダ語を、南の地域がフランス語を話す。そして、ドイツ語も一応公用語になっているらしいがドイツとの国境線にある少しの地域しか話さないらしく私が留学にしている間ベルギーでドイツ語を耳にしたことは無い。つまり、私が派遣された地域はみんなオランダ語を話す。
ホストファミリーはVoke(ホストパパ),Moeke(ホストママ),大学生のホストシスターとホストブラザーの4人家族でおばあちゃん猫が1匹いた。

ベルギーの家庭は基本共働きで家事は家族で分担して行う家が多い。また、大学生はkotと呼ばれる大学が安く貸してくれる部屋で、週末は実家で過ごす人が多く、私はMoekeと2人の時が多かった。それでも家族が揃う週末はみんなで話しながらご飯を食べ忙しながらも家族の絆を感じた。
毎週金曜日には、ベルギー発祥フライドポテトを必ず食べた。こっちの人は、フライドポテトにマヨネーズをつけて食べる。
私は、階段の電気を消し忘れしょっちゅうMoekeから叱られていたが(笑)、家族は私をたくさんの場所に連れて行ってくれた。始めは家から歩いて10分くらいの所にある風車。その下で食べたチョコレートアイス。大きな休みにはフランスやドイツ、オーストリアにスキーも連れてってくれた。
また何処か出かけた時もそうで無い時も沢山の事を教えてくれた。もちろんオランダ語、花の名前、ベルギーの童謡やその意味などなど。
また、ベルギー人は英語はみんな出来る。それも母国語レベルに。だから他の国から来た留学生は最初から英語で楽しく会話とかしているのに、自分は全く出来ない。しかし私の家族はそんなこと気にせず、私が分かるまで何回もオランダ語で説明してくれた。それが私は本当に本当に嬉しかった。
他の場面でも力になってくれたのはいつも家族だった。

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次に、学校。学校は私の留学生活の中で、友達関係も含めて一番難しかったのに1日で1番長い時間を占めていた。ベルギーの学校は、どの学校も月曜日から金曜日の週5日で水曜日は午前のみ。午後はお家に帰って個人が好きに過ごす。
私は月木は16:30まで火金は15:30まで学校があった。長いよね(笑)。始まるのは8:20。交通手段だけ言えば、自転車、徒歩、バス、電車など日本と変わらないが大体の生徒が家から30分以内の所から通っている。また、車で送り迎えしてもらう家も少なくはない。
私は、生徒の中で占める割合が1番高いであろう自転車で通学していた。自転車で約25分間、学校までの道は、芝生,牛,芝生,牛ちょこっと車そんな感じの素敵な場所だった。

クラスは1クラス10人程度、みんなばんばん発言するから、1つの授業全部が1人の生徒と先生のやりとりなんてこともあった(笑)。それと、授業中寝ている人なんて1人もいない。私は、いつも頑張っていたがつい寝てしまうこともありみんなにその度に笑われていた。
先生はほとんど黒板に書かない。ほとんど口で言うだけ。私は聞き取れないのでとても苦労した。毎回隣の席に座った子のプリントをみせてもらっていた。しかし大体の友達の字が崩した筆記体で読めず、またしても苦労した。

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休み時間は、2時間の授業につき15分あった。生徒はみな教室では無く外にある広場で友達と過ごす。クッキーやポテチ、バナナやリンゴの丸かじりなどをして過ごした。お昼休みは、家から持ってきたパンを学校で食べる人もいるが、半分くらいの人がお家に帰ってご飯を食べたり近くにあるスーパーまで行ってパンなどを買いスーパーの前で食べたりもした。
私は、休み時間が最初嫌いだった。何故なら、何も話せない、何も理解できない、ただ一人座っているという状態が続いたからだ。
授業中なら一人になっても課題などまだやることがあった。しかし休み時間はやることもなく本当に退屈な時間だった。この状況に危機感を感じた私は、休み時間とりあえず誰かの隣に座ることから始めた。そして、話せそうだったら話す。私のつたないオランダ語で今日天気いいね、だとか次の授業何だっけ?とかそんなことでいいからとりあえず挑戦してみた。
すると返してくれる子は必ずいる。最初話しかけた子が、最終的に一番仲良くなった子だ。その子と将来について語れるほどだった。その子は高校を卒業したらオーストラリアかイギリスで働きながら学びたいと言っていた。私の影響も少なからずあるらしくてとても嬉しかった。

また、ベルギーにはfeestje(パーティー)が毎週どこかのBarか特設テントで開催されている。ロビン(ホストブラザー)がfeestjeが好きだったので何回か一緒に行った。
パーティーといっても暗い部屋で光が不規則に飛び、DJが爆音で音楽をかけ、ドリンク片手にズンチャカ踊るものだった。
そしてfeestjeは現地の人たちにとって友達に久しぶりに会えたりする場でもあった。

私は最初このfeestjeを楽しむことが難しかった。曲は聴いたことのない洋楽ばかり、知り合いなんて誰もいないからロビンの友達に会う度に毎回毎回自己紹介。その度に、英語で話しかけられ分からず、ロビンがこの子英語出来ないからオランダ語にしてあげてと友達に言っていた。
feestjeは夜中の3時から5時くらいまでやっている。最終的には、周りに酔っ払った人たちがたくさん。(笑)私からしたら驚くことの連続。とても疲れた。ぶっちゃけ楽しく無かった。
しかし多くの学校の友達もホストシスターもブラザーもこのfeestjeが好きだった。そこで私は、確かにもしこれが日本にあって、ベルギーのようにメジャーで、友達もたくさんいたら、かなり楽しいだろうなと考えた。そもそも、ベルギーの若者はfeestje好きが多いし、ベルギーの文化なんじゃないかと考えた。その時、よし、feestje絶対に楽しんでやる、という目標を心の中に勝手に決めた。
そこからは、ロビンにfeestjeで流れていた曲を聞きyoutubeで探して片っ端から聞いた。それでもfeestjeには、怖くて暫く行けなかった。

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そして、年が明け2月か3月だっただろうか、ロビンに誘われfeestjeに行ってみることにした。すると、うん何曲か知っている。知っている曲なら楽しめる!前に自己紹介したロビンの友達が私のこと覚えてくれていた!クラスの友達も何人かいるぞ!今回も心の底からは楽しめなかったものの前よりは絶対に状況が良くなっていると感じた。
そして、その後何回か行くうちにコツをつかみ楽しいと感じることが出来てきた。最後の1ヶ月、2ヶ月はfeestjeに行きたい!と自分で言うようにもなっていた。そしてホストブラザーとでは無く友達を自分で誘って行けるようになった。あの時の自分は、feestjeが苦手だったのに!!と思いながら。
私はAFSという留学団体を利用してベルギーに行った。AFSは世界中にネットワークがあるのでアメリカやオーストラリアをはじめ、ベルギーや南米の国など沢山の国から国を選択出来た。そしてベルギー現地で私は世界各地からAFSでベルギーに留学しに来た同年代の人に沢山あった。その人達とオリエンテーションなどをする内にだんだん仲良くなれた。

AFS間のコミュニケーションは基本英語だ。日本人とメキシコとチリの女の子何人かだけ英語が皆無に話せないので仲良くなるのに少し遅れはとったものの、みんな留学しに来ているだけあって分からない人にもフレンドリーで初めは大丈夫?分かる?と沢山心配してもらった。
私はこのコミュニティでタイ人の女の子2人とボリビアの男の子と凄く仲良くなった。その子達と自分の国について話したり、ベルギーの授業全然理解できないよねーとか留学生にしか分からない楽しみや悩みをよく話した。feesjeにも行った。
そして、なんといっても地球の裏側の国、ボリビアに住んでいる子と親しくなれたのは私の中で大きい。もし私がベルギーに留学していなかったらボリビアなんて聞いた事もない国について知ることも無かったし、友達なんて出来るわけが無かった。しかし今では、いつか私はボリビアに遊びに行かなきゃならないとよく考えている。

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そんな私の1年は、今までの人生の中で1番濃い年だったのではないだろうか。書き出したらもっともっと色んな事が出てくる。家族、学校、AFSと3つのコミュニティの中で主に生活していたが、いつも近くにいて支えてくれた家族の存在はとてもとても私の中で大きかった。そしてベルギーは私にとって謎の多い未知の場所では無く、帰る場所、第2の故郷となったのである。
日本に帰ってきた今でもDAG!Goedmorgenで朝が始まりSlaaplekkerで夜が終わりそうな気がする。この素晴らしい私の留学に関わって頂いた全ての方に感謝したい。

そして私のこの文章が次にベルギーに行く人、ベルギーに留学したい人の後押しになればと思う。

2015年8月 ベルギー(オランダ語圏)派遣
AFS61期生/後田真里

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