さまざまな形でAFSと関わる5人のパネリストにAFS体験をお話しいただき、今後のAFSについて意見を交わしました。
パネリストのご経歴については、AFS Japan 70th Anniversary 記念式典・祝賀会ページをご覧ください

●「AFS体験」とは何であったか?

前川氏:いくつかの職場を経験したが、比較的長かったのが国連開発計画という国連機関だ。中国、ニューヨーク、アフリカのルワンダで勤務をした。博士課程修了後は大学で教鞭をとり、現在は民間の財団で持続可能な海洋管理に関する研究に従事している。私がこのような人生を歩んでいる原点は、まさにAFSにある。
幼少期をアメリカで過ごしたが、当時の私の世界地図には日本とアメリカぐらいしかなかった。しかし、AFSの経験を経て、世界が広いということ、世界の中にもいろんな国があるということを実感した。

留学前はいろんなことを率先して行うタイプだったが、留学当初はなかなか溶け込めず疎外感を感じたことがあった。グループやコミュニティには、常に立場の弱い人、声を上げられない人たちがいる。それを身をもって経験した。この経験から立場の弱い人たちのために働きかける仕事がしてみたいという気持ちが芽生えていった。

ホストファミリーとの関係では、相手の立場に立って考えることで、いろんな解決策が見出せる、逆にそうしないと見えてこないことがあるという気づきもあった。現在の仕事で分析対象としている国際交渉においても、そのように多様な立場からの見方が大切な場であると感じる。
AFSには世界的な広がりがあり、さまざまな方が活躍をしていることを大変心強く思っている。海外で仕事をしてお会いする現地の大臣や大使がAFSの参加者だとわかって盛り上がることもある。
ホストファミリーとの関係も続いており、もう一つのファミリーがあることも大きな支えになっている。今後の世界では、環境問題を含めて国の連携や協力がないとなかなか解決していかないことが多いが、AFS体験はそのために必要なグローバルシティズンシップを築くきっかけになった。

日本語を母語としない参加者のため、パネルディスカッションの内容は、AIによる自動翻訳を投影した

ジョルダーニ 氏:私はイタリアの小さな村に生まれたが、そこから抜け出し、広い世界のことを理解できるようになりたい、という思いでAFSに応募した。AFSで印象に残った経験はいろいろあるが、特に2つ挙げたい。1つは、ホストファミリーと出会った日、自然に、ホストマザーがママに、ホストシスターが妹になったことだ。この世界には2つの家族、2つの居場所があるという意識をもつようになり、機会も2倍に増えたような気がした。将来は怖くないと思った。

2つ目は、高校での出来事だ。はじめは、高校で友達を作るのはとても大変だった。がんばって友達をつくるようにしたが、みんなでご飯に行こうという話になったとき、私のことをあまり好きではなかった友達が、私を誘ってくれなかった。しかし、他の友達が「ノラを誘わないなら私たちも行かない」と言ってくれて、とても感動した。これも、人生は怖くない、何でもできる、と思った経験だ。

トン 氏:私もノラさんと同じように小さな村から来た。親は私を信頼し、好きなことを勉強させてくれ、いろんなことを自分で決めさせてくれた。日本語の勉強を始めたときにSNSで「アジア高校生架け橋プロジェクト」の情報を見つけ、応募した。初めての海外生活で失敗もたくさんした。先輩や、AFSのサポートボランティアであるLPさんにもお世話になった。問題があっても自分なりの答えを見つけようと乗り越えることができた。将来のためにやりたいこと、やるべきことを考え、生活できている。ダイバーシティにも対応できている。AFSのおかげだ。奨学金を受給できていなければいま、私はどこにいるかも想像できないぐらいだ。本当に私の人生のターニングポイントになっている。

中山:長澤氏に聞く。AFSが発表した「アクティブ・グローバル・シチズン」は、留学生だけでなく、受け入れる側、ボランティアも参加する職員も、目標に向かっていこうというものだが、受け入れの長い経験から、受け入れの意義や学んだことはあるか。

長澤氏:受け入れ側、例えば、ホストファミリーもグローバル・シチズンになり得る体験をしている。異文化を受け入れ、理解し、歩み寄り、という過程を通じて国際理解力を伸ばし、そしてそれをまた他の人にも広めていくという体験である。AFSのHPにもホストファミリーの声を紹介した動画が紹介されている。ぜひご覧いただきたい。

留学は、生徒側から見るとマイノリティとしてマジョリティに受け入れてもらう体験である。反対に、ホストファミリー側からは、マジョリティとしてマイノリティを受け入れる体験だ。この2つの体験をすると1つの球体が出来上がり、完全体になれるというイメージをもっている。
留学から帰ってきた生徒は、成果や頑張ったことを報告してくれる。心からすごいと思う。同時に、忘れてほしくないのは「あなたはいろいろ許されてきたんだよ」ということだ。(一同笑い)受け入れ側をしていると、留学中にうまくいかなかった子でも、5年後10年後にまた日本に来て「お母さん、あの時の私はひどかった。ごめんなさい」という話を聞くことがある。そういうときは本当に良かったなと思う。

会場には「アジア高校生架け橋プロジェクト+」の生徒(一部)も参加した

中山:松本先生にお尋ねする。生徒の内向き志向が言われたり、AFS以外にもさまざまな留学の方法があるが、教育機関側からは、どのようにAFSを評価するか?

松本氏:学校は本来的に人を良くしていく、成長させていく機関であるはずなのに、なぜか「国際交流」に関しては非常に保守的で、外側の殻を破ろうとしないでいると感じる。ある程度の成績の生徒が、海外の大学に進学をしたいと相談したら、「君の成績だったら近所の〇〇大学に行ける」とか「国立に行けるからそっちに行きなさい」という指導をされることが多いのではないか。徐々に脱却をしようとしているところだろう。

ただ、海外研修をとりいれている学校でも、留学生の受け入れをやっているかと聞くと、必ずしもそうではない。つまり、行くのはいいけれど来るのは困るというのが、基本的なスタンスだ。長澤さんの話につながるが、やはり両方揃ってはじめて球体、グローバルだと思う。学校が「グローバル」と言ったときに、受け入れをしているかどうかは一つの評価ポイントだと思う。

長く受け入れを続けている学校もあるだろう。ただ、多くの学校で、国際理解教育は、いわば『プラスアルファの存在』だ。『本体とは別のもの』という認識があるために、学校では専門家が育たない。中心の役割を担う先生の多くは英語の先生や留学経験がある先生ではないか。特定の先生に押し付けられてしまうため、その方がいなくなると、プログラムそのものがなくなってしまう問題が生じる。
そのような状況の中で、安定的に国際理解教育をサポートしているのが、まさにAFSだったのだろうと考える。AFSという団体の存在なしに、日本の学校の国際化というのはおそらくここまでは進んでいなかったと認識する。

高校生の内向き志向については、「誰が内を向かせているのか」を考える必要がある。修学旅行先が海外であると高校生は喜ぶし、海外研修などに参加を希望する生徒は少なくない。別に内向きではない。社会的、経済的な理由、将来への心配などから、限界を決めているのは、大人の側ではないか。大人が国際化・グローバル化していかないと、若者の内向き志向の正体はつかめないのではないか。

自戒も込めて言うと、教育関係者をはじめとする子どもに関わる大人がしっかり世界を見ているかどうか、がとても大事だと考える。
海外に出ていくことは「特別な体験」となりやすい。しかし、これは特別な体験ではあってはいけない。「学校が世界」になる必要がある。その実感を持った中で、本物を見たいという生徒が海外に出ることで、実感を伴った体験になると思う。加えて、留学生が学校のカルチャーを変えていくことが当たり前である状況をつくりだすことが、学校の国際化を強力に推し進めてくれると考える。
(一同拍手)


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