Yoshi Hattori Memorial Scholarship(YOSHI基金)は、日本からアメリカのルイジアナに行った日本人のりゅうがくせい、服部剛丈さんのきおくのために作られました。一九九二年十月十七日、ハロウィンのパーティーに行くと中で、服部さんはまちがった家に行ってしまい、かなしくも、うたれてしんでしまいました。このできごとは、せかい中で、じゅうきとぶんかのちがいについての会話を生みました。

このかなしいできごとのあと、服部さんのかぞくは、むすこのレガシーをたたえるために、このスカラシップを作りました。このスカラシップは、アメリカのこうこうせいが一年間日本にりゅうがくするためのサポートをします。

YOSHI基金のおかげで、わたしは日本にすんで、べんきょうするチャンスをもらいました。このけいけんは、わたしのかくどをひろげ、いみのあるチャレンジをあたえてくれて、じこせいちょうやがくもんのせいちょうにつながっています。このスカラシップがなければ、日本でのじかんは、けっしてじつげんしなかったと思います。本当にかんしゃしています。

わたしは、AFSのアンバサダーとしてかつどうできること、そして服部さんのかぞくのビジョンをひろめることができるのをとてもほこりに思っています。

今、私は日本でりゅうがくちゅうです。このけいけんの中で、たくさんのすばらしい人たちに出会い、その人たちとすごした時間にとてもかんしゃしています。

とくに、アメリカから来たほかのりゅうがくせいとのゆうじょうには、とてもかんしゃしています。いっしょにこのたびをすごす中で、かけがえのないともだちになりました。この人たちは、しょうらいもずっとたいせつなともだちになると思います。この人たちがいなければ、このけいけんはぜんぜんちがうものになっていたと思います。

そして、わたしがかんしゃしているもう一人のたいせつな人は、ホストマザーです。わたしが十二さいのとき、じぶんの母はカリフォルニアに引っこしました。ときどき会うことはありましたが、日本でホストマザーに会うまで、まいにち感じる「母のあいじょう」がどれだけ大切だったかに気がつきませんでした。

ホストマザーは、さいしょからわたしをかぞくのようにむかえてくれて、しんせつにしてくれました。てづくりのごはんを作ってくれたり、にほんごをてつだってくれたり、いつも話をきいてくれたり、わたしが日本でさいこうのけいけんができるように、たくさん気をつかってくれます。

りゅうがくは、ただべつの国にすむことではなく、ぶんかをたいけんし、じぶんをせいちょうさせ、まわりの人たちとのほんとうのつながりを作ることです。ホストマザーのおかげで、それがすべてできています。この一年が、わたしにとってもう一つの家のように感じられるのは、ホストマザーのあいじょうとしえんのおかげです。わたしは、心からかんしゃしています。

▼寄附 > YOSHI基金


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