先日2月21日、ベルギーに到着した日から、既に6か月が経ちました。時が経つのをとても早く感じています。
改めて今までの6か月間を振り返ると、さらに“残りの時間も有意義なものにしたい”と強く意志を新たにしている今日この頃です。

今でも、出発当日の朝の事を強く覚えています。集合当日の朝、成田空港で父が“楽しんでおいで。生きて帰ってくるんだよ。”と私に言ったのを覚えています。
飛行機の中ではこれから私を待っている約10か月間に少しの不安と大きな期待をもってわくわくしていました。
飛行場から1時間ほど、AFSのボランティアの車に揺られ、到着オリエンテーションの会場に到着しました。
到着オリエンテーションの最後には、ホストファミリーが私たち留学生を迎えに来てくれていました。その当日、私の話せたフランス語は、“初めまして。私の名前は岡本歩実です。私は17歳です。日本から来ました。チョコレートが好きです。”このように簡単な挨拶のみでした。
その日から、私の人生の中で経験したことのない、貴重な日々が始まりました。

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留学というと、日本では多くの人が“きらきらした、楽しい事ばかりの日々”というイメージを持つと思います、ですが、自分の目標を目の前にすると、すべてが簡単なわけではありませんでした。
初めの3か月間、相手の話をすべて理解することはできず、自分の言いたいことを頭の中で長時間考えながら話をしていました。フランス語の語彙も少なく、自分の言いたいことがすらすらと話せないことをもどかしく、悔しく感じ涙してしまった日もありました。
ですが、前向きに、積極的に、“くじけず、自分から吸収しよう!”と自分の小さなノートに間違えたことや初めて知ったことをメモしていました。これは今でも続けている習慣です。

そして、私の場合は、留学に行っていた先輩から3か月経つと流調に言語を話せるようになる、と聞いていたので、自分の3か月目のフランス語能力が自分の期待度に見合っていないことに落胆した日々もありました。
でも今、6か月をベルギーで過ごした私のフランス語能力はどうだろう、考え直してみると、まだ“流調に話し、全て理解したい!”という私の目標には完全には達していないものの、自分が目標のために何をすべきか、明確に分かっています。日々、少しずつではありますが、成長を実感しています。

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会話がほとんど理解できるようになった今、ベルギーの人々とコミュニケーションをとる中で気が付いたことがあります。それは、こちらの人のユーモアには日本のダジャレと少し似ている点があるという事、そして話をすることで相手を理解しよう、理解してもらおうと働きかけることが出来る事です。

まず、ベルギー人は、私から見ると、少し特別な笑いの世界観を持っていると思います。悲しい事、恐れる事や不安を感じる事がある時、悲しんで落ち込んで気持ちがどん底に落ち込むより、その事で冗談を言って、“笑って”いた方が良い、と考えます。
例えば、11月13日金曜日の夜、パリで大規模テロが起こされ、犯人がベルギー人であったことを受け、ラジオやテレビでは、常に犯人の住んでいた町の地名モレンベーク(Molenbeek)についての事が話されていました。ベルギーの公用語はフランス語オランダ語ドイツ語のため、地名が言語ごとに呼び方が違うことがあったり、地名が各言語の由来を持っていたりします。
この地名はオランダ語の地名でフランス語を話す人々には発音が決して簡単ということではないようで、ラジオでは、あるエピソードが話されていました。初めに2 がテロについての意見を述べていたのですが、“犯人はモレンベーク出身なんだよね?”とAさんが確認をとりました。尋ねられた方B んは“なんて言った?”と聞き返しました。というのもAさんはフランス人でフランス語の発音で“モレンベーク”という言葉を発音したものの、ベルギー人のBさんはオランダ語での“モレンベーク”を聞きなれているベルギー人だったためAさんの質問が理解できなかったのです。
ここでは、ベルギーでよく話されるとなる“言語”と、その時期に世界中が話していた“パリでのテロ事件”の2つの話題をかけてダジャレとしています。そして、“ベルギーで話されているフランス語”と“フランスのフランス語”は方言のように少しだけ違う、ということも皮肉ってあります。
このように、悲しい話題を笑いにし、冗談を言うのが好きなベルギー人とは話していて、日々笑いが尽きません。そしてアルファベットを用いた、日本で言う“おやじギャグ”のような冗談もよく話されています。ベルギーに到着した当初、フランス語能力が足りなかった事や、笑いのツボが理解できなかった事もあり、笑うことが出来なかったこともありましたが、今では最初よりも理解できることが増えました。そして、他言語での“笑い”が少しでも理解できた時の喜びはとても大きいものだと感じました。

そして2つ目にこちらの人の“理解に対する考え方”が目に見える事が多くあります。まず、公用語が3か国語、様々な国籍を持つ人が多く住んでいること、そして、ベルギーの首都ブリュッセルには EU本部が置かれているため世界の出来事に関心を持つ人が多いことから、“違いを理解しようとする”という気持ちを持った人が沢山居るという印象を持っています。
私が日本との違いを説明する度、友人やホストファミリーは常に関心をもって聞いてくれます。何か“違い”を感じた際には理解しようと、話をします。話をすればするほど理解できる、理解に近づくことが出来るということをベルギーの人は知っています。理解できないことを、私には理解できない、とあきらめることをしようとしません。
私が何かを話そうとすると、相手は話を聞いてくれます。日本にいた際、当たり前だと思っていた、“話す”ことの大切さ、たとえ理解できなかったとしても“理解しようとする”ことの大切さを、改めて感じます。

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日本を発った際、6か月後の自分が、今の様に、貴重な日々を有意義なものにできるか、忘れられない心に残る日々を過ごせるか、想像できませんでした。大まかな期待を胸にベルギーに到着して今や、7か月目を迎えています。
これからの日々、日本の家族、友人、舟入高校の先生方、広島市教育委員会の方々、ホストファミリー、こちらでの友人、お世話になった全ての人への感謝の思いを胸に、後悔のない日々にしたいと思います。
これからまた乗り越えなければいけない事、簡単ではない事が沢山あると思います。ですが、常に私を応援してくれる人がいると改めて感じる今、きっと壁にぶつかることがあっても“自分なりに”乗り越えていけると思います。

そして、最後にはなりましたが、この様な貴重な経験のできる環境を与えてくださった家族、両親、広島市奨学金を与えてくださった広島市に心から感謝しています。EU本部の首都であるベルギーで暮らしている中で、日本にいた時よりも世界との距離が近くなった事、自分の価値観の変化も少しではありますが感じています。
世界では日々楽しいことがあって幸せを感じ笑顔でいっぱいの人々がいると同時に自分ではどうにもできない環境のために涙を流し悲しい思いをしている人々がいます。
誰もがみんな私の様に自分の目標を追いかける事のできる環境にいるわけではないと言う事を改めて感じる今、常に感謝することを忘れず、今の自分に出来る事を、精一杯やって、後悔のない留学にしたいと思います。

2016年2月 広島市奨学生
AFS62期 ベルギーフランス語圏派遣/ 岡本歩実

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