
留学レポート 第二の故郷、タスマニア
みちのく応援奨学生として、オーストラリアのタスマニア州に留学していました。 この10ヶ月間は、自分探しの留学であったとともに、東日本大震災について外国の観点から考え、またより多くの人に知ってもらうための留学でもありました。

みちのく応援奨学生として、オーストラリアのタスマニア州に留学していました。 この10ヶ月間は、自分探しの留学であったとともに、東日本大震災について外国の観点から考え、またより多くの人に知ってもらうための留学でもありました。

My name is Marino Na…

I faced many difficulties and differences. But also I got experience which I couldn't do that if I didn't come to the USA.

タイトルにあるように私の住むこの街はAMORE(愛)が本当に満ち溢れています。この五ヶ月間この街のその愛に毎日のように支えられてきました。

私はAFSクラブに所属しています。ドイツ、イタリア、カメルーン、パキスタンなどからの留学生もおり、様々な国の文化を学べる機会があり、とても興味深いものです。世界は広く日本はほんのその一部であるということをしみじみを感じさせられます。

さてDCは全世界の大使館が集まる場であり、学校にも大使館に住んでいる友人が多くいるので、本当に沢山の国の人に会います。他民族国家であるアメリカは同時に多文化国家であり、様々な国や宗教のことを学んだり体験することができました。

日本は協調性を重んじるのに対し、アメリカでは自己主張できることが求められるという話を留学前によく聞いたが、日本の高校とホストスクールを比較してみてどちらも各国の特徴をよく象徴しているような気がする。

外国で学ぶ、という体験はこれ以上ないくらい素晴らしい体験です。言葉を学ぶ、という事だけではなく、視野が広くなるのがはっきりわかります。高校時代に留学をすることより価値があることがあるだろうか、と思う程です。

ベルギーの生活で一番の壁となったのは、やはり言語です。一対一のオランダ語会話は、なんとか成り立つようになりましたが、グループでの会話は後から確認しないと理解できないことが多いです。