
留学レポート アメリカでのいい思い出
最初の二か月くらいは話しかけることはできても話に混ざることができなくて、友達もあんまりできませんでした。その間はすごく辛くて、日本に帰りたいという時期が何度もありました。

最初の二か月くらいは話しかけることはできても話に混ざることができなくて、友達もあんまりできませんでした。その間はすごく辛くて、日本に帰りたいという時期が何度もありました。

那覇の沖縄県立芸術大学に通うため来日したジュリア恵子さんは、AFSアルゼンチンのロサリオ支部でボランティア活動を行っています。 現地の活動の様子をレポートしてくれましたのでご紹介します。

こちらで本当に日本と違うなと思うところはやっぱりAmoreです。友達同士ではよくTi voglio bene!(大好き!)と言ったり、家族間はもちろん、先生も生徒に呼びかけるときAmore(愛する人)と言ったりします。

インドネシア人の多くがイスラム教徒で、ラマダンという断食月はみんなでやりました。朝、4時からサフールという少し特別な朝ごはんを食べ、日の出と共にアザールが街に響き渡り、それから日没までなにも口にしてはいけません。

一番初めに思ったことは、「タイ人は思ったことをすぐ表情や態度に出す」と言うことです。 これは時と場合によって善し悪しがあると思いますが、私はそれがタイ人の良いところだと思っています。

ホストファミリーもとても優しくオーストラリアのことや英語をおしえてくれます。私は最初家族の距離がとても近いことに驚きました。 いとこがあそびにきたり泊まりにくることはよくあります。おじいちゃんは毎週一緒に夜ご飯をたべにきます。

私は、校外の活動としてボーイスカウトに入りました。オランダではscouting(スカウティング)と呼ばれています。子供のscoutingは15歳までですが特別に入れてもらうことができました。

わたしはマレー系の家庭に配属されました。マレー系の家庭という事でマレー系の独特な文化を存分に味わう事が出来ました。例をあげたらきりがないので、"マレー系三大独特文化!!"を紹介したいと思います。

たくさんの人に出会い、たくさんの経験をし、私の人生の中で大きなターニングポイントとなる1年となりました。まったく新しい環境で生活をすることは楽なことではありません。しかし、新しい自分に出会えました。